これから、「日本人と支那人はまったく考え方が違うので、仲間にはなれない」ということを書いていきます。
私は最近、支那人は人と感情を共有するのが苦手なのではないか、と思うようになりました。別に支那人が相手の考えていることを察知するのが不得意だという意味ではありません。むしろ、スパイをして相手の情報を盗み出したり、ウソの情報を流して相手を混乱させたり、脅迫や暴力で相手を黙らせたりするなどという謀略・情報戦は得意だろうと思います。
人間どうしが自分の気持ちを述べ合い、互いに相手の感情を理解することによって親近感を深め、互いに助け合う、ということがなかなかできないのではないか、ということです。
支那人の言葉というのは必要最低限のコミュニケーションをとるための手段であって、自分のデリケートな心の動きを伝えることができません。そのためにお互いに共感するのが難しいのです。このような見方を、私はアメリカの戦略研究家であるエドワード・ルトワック博士の著書を読んで知りました。博士は、具体的には次のようなことを述べています。
「支那人は戦略を立てるのが下手で、戦争で負けてばかりいる。この2000年間の支那の歴史の三分の二の期間は、異民族に征服されていた。支那人は孫子という2500年前の戦略家が書いた兵法をうのみにしているが、それが全然使い物にならないことは歴史が証明している。しかしそういう反省もせずに、今でも孫子の兵法を信奉して、それを基に戦略を立てている」
孫子の兵法というのは、「強力な軍事力で相手国を威嚇すれば、相手国は恐れて外交的に譲歩してくる。だから実際には戦わないでも目的を達成できる。戦わずして勝つのが最善の方法だ」というものです。ところが現実には、相手は期待したように外交的な譲歩をしないのです。