日本人が好きな陽明学は、儒教ではない

朱子よりも300年ぐらい後の明の時代に、王陽明が現れて陽明学という儒教の一派を作りました。これは心の中の道徳心を非常に重視し、外観をあまり考慮しない儒教です。そのために外観を重視する支那ではこの教えは異端というよりも儒教ではないと考えられ、ほとんど普及しませんでした。

心の中を重視し外観をあまり考慮しない陽明学は、神道の誠の考え方と発想がかなり似ています。だから多くの日本人は、陽明学に傾倒しました。江戸時代初期の中江藤樹・熊沢蕃山、幕末の大塩平八郎・吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛・大久保利通などみんな陽明学を信奉していました。

戦後も安岡正篤という陽明学者が活躍していました。朱子学は日本人に人気がなく、幕府が倒れると間もなく消えてしまいましたが、陽明学はずっと継承されています。余談ですが、占い師として有名な細木数子は安岡正篤の後妻です。二人は40歳年が離れていて、親族の反対を押し切って結婚しました。いかにも外観を問題にせず心が通じ合っていればそれでよしとする、陽明学者らしい振る舞いです。

儒教の好みを見ても分かるように、支那人は外観を重視するので、偽善的に行動します。それに反して、日本人は心の中を重視します。このような違いを無視して、「日本人と支那人は同じ文化を共有する仲間だ」と考えるのは、とんでもない誤解です。

明治以降、「日本人と支那人は同じ文化を共有しているから、互いに相手を理解できる仲間だ」などと誤解し、「大アジア主義」が大きな影響力をふるっていました。その結果日本人は支那に深入りしました。そして、支那の利権を狙っていたアメリカと支那が同盟を結んでしまいました。日本はアメリカと戦争をするはめになり、ひどい目に遭いました。このことを忘れてはなりません。