日本語はデリケートなので、自分の気持ちを相手に伝えるのに便利な言葉です。だから日本人は日本語を使ううちに、相手の心を敏感に察するようになりました。仏教は、心の動きを説く宗教なので、日本人と相性が良いのです。そのために奈良時代に日本に入ってきてから、仏教はずっと日本で信仰され続けています。
一方、支那では多くの言葉が入り乱れていて、山を一つ越えれば言葉が通じないということもあります。そのために自分の気持ちを言葉で相手に伝えるのが難しく、目に見える形で自分の気持ちを伝えるようになりました。自分の心の細かい動きを観察しようとしない支那人と仏教は、あまり相性が良くありません。
相性が悪いはずの仏教が、2世紀から支那で非常に流行し、日本に仏教を輸出までになりましたが、最終的には衰退しました。ところが日本人は、支那では今でも仏教が栄えていると思い込んで、「日本人と支那人は、仏教という文化を共有している。だからお互いに理解でき、助け合える」と勘違いしています。
「支那でなぜ仏教が流行り、その後衰退したのか」を知ることで、支那人の発想が少しは分かると思います。少し細かい内容ですが、読んでください。
支那で仏教が流行り出したのは、2世紀末の内乱時代でした。自分の命や生活がどうなるかという不安の中で、支那人たちは精神的な救いを求めていました。ところが儒教は、人間関係を説くだけで、人の心の不安を解消することには関心がありません。だから儒教への信頼がなくなってきたのです。
支那人の精神的な空白に入り込んだのが仏教です。肉親や財産を亡くし悲しんでいる者たちに対し、「肉親や財産は、いつかは消えて無くなる。こういうものに固執していては、悲しみは消えない。いつかは消えて無くなるものに対する執着を断てば、悲しみは消える」と空の教えを説きました。この教えに、多くの支那人は飛びつきました。