日本の天皇の西欧諸国の王は役割が違います。だから西欧諸国が女系王を容認しているからと言って、日本も同じようにするわけにはいきません。このことは前々回のブログで説明しました。
普通の日本人の多くは、西欧諸国の王と日本の天皇とは役割が違う、ということを分かっていますが、多くの学者は分かっていないようです。少なくとも戦前の日本人は、その違いを分かっていました。その実例が「天皇機関説」です。
東京帝国大学に美濃部達吉(1873年~1948年)という憲法学の教授がいました。彼はドイツに留学して、「皇帝機関説」という学説を勉強しました。ドイツ皇帝という位は、裁判所や国会と同じように、国家全体を構成する組織の部品(機関)の一つだ、という説です。キリスト教は、皇帝や国王は運転手やセールスマンと同じように職業の一つであり宗教的には特別のものではない、と考えます。だから「皇帝機関説」は西欧では常識的な発想です。
美濃部先生はこの学説に共感して日本に持ち帰り、「天皇機関説」を公表しました。普通の日本人は憲法の学説になど興味はないので、一般に知られずに時が経ちました。ところが昭和10年(1935年)に、貴族院議員の一人が「天皇機関説」を攻撃しました。
このニュースを新聞やラジオで知った一般の日本人は、「神聖な天皇陛下を、鉄道や船の機関と同じように考えるなど、とんでもない不敬だ」と怒りました。別に「天皇機関説」の内容を理解したのではなく、天皇が日本の繁栄を神に祈る宗教的な存在だと考えていて、それが汚されたと思っていたからです。そして美濃部先生は東京帝国大学教授と貴族院議員の地位を失い、暴漢に襲われて重傷を負いました。
敗戦後にこの「天皇機関説事件」は、右翼による学問の自由を侵害したものだ、と学者が騒いで、今ではこの見かたが定着しています。しかし実際は、学者たちが天皇の役割を理解していないというだけのことです。
国家体制や法体系の根底には、宗教的な考え方があります。だから宗教的背景を考えないと、とんでもない誤解をします。FreedomやEqualityに仏教用語を使って自由・平等と訳したことがその典型ですが、女系天皇容認論も同じく、宗教に対する無知・無関心から出てきたものです。