自由と平等の誤解に振り回された

伊吹元衆議院議長は、「皇族は日本国民ではないから、憲法の条文は適用されない」という理由だけでなく、「ノブレス・オブリージュ」などという聞きなれない外国語を持ち出して、この結婚に反対しました。

FreedomやEqualityには、「ノブレス・オブリージュ」の考え方が含まれています。だからもしも日本人がFreedom(自由)やEquality(平等)の本来の意味を正しく理解していたら、伊吹氏はわざわざ聞きなれない外国語を使う必要などなかったわけです。

Freedomの訳語が自由で、Equalityの訳語が平等だと一般には考えられています。しかし、実際はこれらの訳語は正確でなく、多くの誤解を誘発します。これについては何度となく書いてきましたが、大事なことなのでもう一度説明します。

FreedomやEqualityはキリスト教から生まれた考え方ですが、自由や平等は大乗仏教の言葉です。だから原語と訳語とでは、元々の発想が全然違うのです。

大乗仏教は、すべての人間は同じ仏様の分身だから、全くだと考えます。また出家を前提にした宗教ですから、出家した僧侶の視点を持っています。僧侶は修行をするだけで社会的な役目がありません。さらに山の中で孤立して生活しているという前提なので、他人の存在を意識する必要がありません。

このような教義から、実社会の中では人はさまざまな役割を担っていて、それを果たすために異なる権限と義務があるということを考えません。ましてや、人間はすべて同じと考えるので、無制限の平等が正しいと考えるのです。また、周囲の人間を気にせずに、勝手気ままに振舞っても良く、その場合に感じる爽快感を「自由」と称しています。

FreedomとEqualityを大乗仏教の教義で解釈しているため、これらの本来の考え方の中には「社会的地位の高い人には、大きな義務がある」という「ノブレス・オブリージュ」の考え方が含まれていることに気づかないのです。

眞子内親王殿下と小室圭氏という結婚問題の当事者も、そのご両親や宮内庁職員などの関係者も、「皇族も庶民も同じ人間で違いがない」という大乗仏教の平等観に足を引っ張られてこの問題を考えてしまい、問題がどんどん大きくなってしまいました。

例えば、小室氏の身辺のスキャンダルなど交際を始めてから9年にもなるので、周囲は当然分かっていたはずです。しかし、大乗仏教の平等観に捉われて、不十分な対応しかせず、婚約発表後にマスコミに暴露されて初めて慌てるということになってしまいました。

このような意味では、当事者も関係者も、自由と平等の誤解に振り回された被害者だと考えることもできます。この問題は、今後の処理を誤れば皇室の権威を大きく傷つけてしまいます。そうなれば、日本の伝統文化・誠の考え方にも悪影響を与えることになります。

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