「格差是正」のために資産を無理に引き下げるのは、日本的発想

行政機関が「格差是正」のために、資産価格を無理やりに引き下げるというのは、極めて日本的な現象です。

「日本は国民の間の経済格差が少ない」とかつては言われていました。バブル崩壊後には、「次第に経済格差が開いている」とも言われています。ただしそのどちらも、統計数字を見る限りでは、当たっていないようです。

日本の経済格差は、他国と比べて中程度です。ジニ係数を見ると、確かにアメリカ・インド・支那の格差は日本よりはるかに開いていますが、西欧諸国の方が日本より格差が少ないし、カナダ・オーストラリアは日本と同程度です。また日本国内の格差を時系列で見ると、税金や社会保険・社会保障給付を加味した実質的な所得では、50年以上横ばいの状態です。

つまり日本は、「国民の間の経済格差が少ない国」というよりも、「国民の間の経済格差が少ないと、思いたがっている国」なのです。だから大蔵省の局長と日銀の総裁が、無理やりに資産価格を下げて格差を少なくしようするのです。

このような発想がどこから生まれたかというと、大乗仏教の伝統からです。大乗仏教は、世の中にある全ての人間は仏様であってみんな同じだと考えます。男女の差、肌の色の違い、性格の差、貧富の差、容貌の美醜の差など本当はなく、みな同じだと考えるのです。これが仏教の平等観です。

明治になって西洋から、Equalityという考え方が導入されました。この考え方はキリスト教から生まれたものです。神はそれぞれの人間を自ら作ったので、それぞれに違います。キリスト教の教えでは、人間一人一人は個性的に創られています。

また人間は、神からそれぞれ個別の使命を授けられています。使命がそれぞれ違うので、それを達成するために神から与えられた必要な能力や環境も違って当然です。ただし使命に関係のない全くのプライベートな場面では、みんなを同じ扱いにしなければなりません。これがEqualityの考え方です。

明治になって、Equalityを平等と訳し、それを憲法で保障しました。そのために、日本人は仏教の平等が保障されていると勘違いしたのです。

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