「 2019年10月 」一覧

朝鮮のお上は、ただ税金をとるだけ

朝鮮のお上は、ただ税金をとるだけ

李氏朝鮮の創始者の李成桂と彼の家来は、満州近くの北朝鮮北部出身の女真人でした。彼らは高麗の支配層で従わない者を皆殺しして、朝鮮全体をいわば占領したような形になりました。そして都から役人を派遣して地方の土着の豪族を抑えつけました。

朝鮮人は、現状分析をせず、抽象的な思考をして結論を出す

朝鮮人は、現状分析をせず、抽象的な思考をして結論を出す

朝鮮出兵の2年前に、李氏朝鮮から正使の黄允吉と副使の金誠一という二人の使者が日本にやってきて秀吉に会いました。この時に二人は、秀吉の顔をじっと観察して彼の心中を推察しました。正使は「秀吉は危ないから気を付けろ」と報告し、副使は「彼は小物だから放っておいても大丈夫だ」と言いました。

朝鮮の軍隊は、驚くほど弱かった

朝鮮の軍隊は、驚くほど弱かった

李氏朝鮮は、1万8千人が船で対馬に来寇しました。倭寇を退治するという名目です。足利幕府は迎撃部隊を派遣しようとしましたが、それが到着するまでの間に、対馬国守護の宋貞盛が600人の手勢だけで打ち破りました。朝鮮側はおよそ2500人が死にました。

鎌倉幕府が滅びたのは、元寇があったためだけではない

鎌倉幕府が滅びたのは、元寇があったためだけではない

鎌倉幕府の行政組織でも一番重要なのが、武士の統制を行う侍所と裁判を行う問注所で、鎌倉幕府は必死になって公正な裁判を行っていました。ところが最後になって長崎円喜という執権の家来が賄賂を取って不正な裁判を行ったために、御家人の不満が高まり幕府が崩壊したのです。