憲法が規定する自由主義の原則を、国の役所が否定した
企画院という統制経済を行っていた官庁は社会主義者の巣窟でしたが、日米開戦の一か月前の昭和16年11月に「国防国家の綱領」という文書を出しました。
企画院という統制経済を行っていた官庁は社会主義者の巣窟でしたが、日米開戦の一か月前の昭和16年11月に「国防国家の綱領」という文書を出しました。
和平が実現されれば統制経済の仕組みをもとに戻さなければなりませんが、それを容認できなくなってしまうのです。まして官僚には社会主義者が大勢いたので、抵抗がさらに激しくなるのです。
社会主義者の軍人・官僚や獄中で転向した共産党員たちやソ連のスパイなどは、日本を社会主義化しようとして、支那事変を利用しました。和平交渉を潰し...
ロシア革命が起き、社会主義こそが人類の理想だという風潮が起きてくると、日本を社会主義化することが目的になってきました。その手段として「戦争に勝つために物資を統制する」というように、戦争が利用されるようになりました。
日本の外交官も軍人もその多くがこの状態にうんざりして早急な和平を望んでいたのに、和平は実現しませんでした。日本の側に和平の実現を望まない勢力がいたのです。
三木清という哲学者(作家?)がいて、戦後に『人生論ノート』というベストセラーを書きました。彼は戦前、昭和研究会に入っていて、社会主義政策を近衛首相に提案していました。
マルクス主義は、民族などというものは支配者が自分の都合の良いように作り出した幻想であり、そんなものは存在しない、と考えます。ソ連も民族を基礎...
一国のリーダーに必要なのは、一つの理念を強固に持ちながらも現実には柔軟に対応することです。ところが近衛文麿は自分の確固たる思想的な基盤がありませんでした。
尾崎秀実という朝日新聞に記者で近衛文麿首相の私的顧問だった者は、実はソ連のスパイだったのです。
前回は、逮捕された日本共産党員が獄中で転向した、という話をしました。今回は、この転向した者たちがその後どうしたのか、ということを話します。 ...