
天皇陛下が主権者だと認めたくない学者が、戦前の日本に多くいた
主権者は君主あるいは国民で、どちらであるにせよ主権者は人間だと考えるのが、世の常識です。ところが美濃部達吉博士は、国家という抽象的なものを主権者だと主張しました。なんとかして天皇陛下が主権者であることを否定したかったわけです。
主権者は君主あるいは国民で、どちらであるにせよ主権者は人間だと考えるのが、世の常識です。ところが美濃部達吉博士は、国家という抽象的なものを主権者だと主張しました。なんとかして天皇陛下が主権者であることを否定したかったわけです。
人を殺してはいけない、という法はみんなが集まって議決した法ではなく、昔からの伝統によってそのように決まっていることなのです。それ以外に説明しようがありません。
アリストテレスは、国民のみんなが納得する法に基づいて政治を行うのであれば、一人で政治をやろうがみんなでやろうが大した問題ではない、と考えていました。そしてみんなで政治を行う場合でも、衆愚に陥る場合を「民主制」としています。
100年の間に世界中で女性も含めた全ての成人国民が選挙権を持つようになったのは、民主主義がよりよい政治を保障するからという理由ではなく、戦争に勝つためでした。
イギリスの政治制度は、「国王は君臨すれども統治せず」というように一般に理解されていますが、イギリス王は我々日本人が思っている以上に政治的な力を持っています。19世紀後半のイギリスのヴィクトリア女王は、嫌いな政治家を総理大臣に任命することを、最後まで承認しませんでした。
昭和天皇は、実際の政治については議会や大臣・重臣の決定に最終的には従うべきだ、と考えておられました。その一方で自らが主権者だという自覚がおありだったので、ご自分の意見を積極的に述べておられました。
「大正時代以後は、国民により選挙で選ばれた政党大臣を出し政治を行っていたので、天皇陛下は政治に一切口を出されなかった」と私は学校で教わりました。しかし『昭和天皇独白録』を読むと、昭和天皇はけっこう政治的な発言をされています。
大学で仏教を勉強した末、「国家は悪いことをする」「どんな理由があろうとも、争いは良くない」「外国人も日本人も同じ人間であって、差別はいけない」という発想は、大乗仏教の教義から来ているということを、私は理解しました。
文民統制の意味を勘違いして、「首相や大統領など軍の最高司令官が軍人出身であってはならない」という意味だと思い込んでいる日本人が大勢います。アメリカなどは歴代45人の大統領の内8人が軍人あがりです。
日英同盟は、日本がロシアと戦争になった場合はイギリスは中立を守るという内容でした。日本が2国以上と交戦するようになって初めて、イギリスも参戦する義務がありました。日本は、まずは必死になって敵と戦わなければなりませんでした。これが世界の常識で、自分の国は自分で守るというのが大原則なのです。