金本位制を復活させたため、日本は恐慌になった
日本が金本位制復活に向けて様々な努力をしている最中の1929年に、アメリカで大恐慌が起きそれが世界中に伝播したので、欧米諸国は金の輸出を禁止...
日本が金本位制復活に向けて様々な努力をしている最中の1929年に、アメリカで大恐慌が起きそれが世界中に伝播したので、欧米諸国は金の輸出を禁止...
第1次世界大戦が終わった後、欧米諸国は次々に金本位制を再開しました。日本は戦後慢性的な不況と関東大震災のために金本位制を再開できませんでした。国際連盟の常任理事国ともあろう日本が金本位制を復活できないことを、為政者たちは恥ずかしく思っていました。
プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(2008年ノーベル経済学賞を受賞)は、「日銀は2~3%程度のインフレを目標として掲げるべきだ」と主張しました。今や日銀だけでなく、35か国の中央銀行がインフレ目標を掲げています。
減税やばらまきなどによって国民の可処分所得を増やす財政政策は、為替が変動相場制になると効果が少なくなります。1998年からの大規模な公共投資の効果がもう一つだったのは、このような理由です。金融政策の内、政策金利(公定歩合)を引き下げる方法は、すでに金利がゼロ近くになっていたために、できなくなっていました。
冷戦当時、アメリカは日本や西ドイツを自由主義陣営にひきつけておくために、日本や西ドイツが為替操作をして自国通貨安にしているのを大目に見ていました。しかしソ連の力が弱まってきたので、アメリカは日本や西ドイツを以前ほど甘やかす必要がなくなりました。そこでプラザ合意で、為替操作を止めて経済の実力でレートを決めることにしたわけです。その結果、プラザ合意の2年後に1ドルが120円という本来の交換レートになりました。
安部晋三は衆議院選挙の前からアベノミクスを公約に掲げており、マスコは衆議院選挙で自民党が大勝し政権交代が起こると予想していました。従って野田総理が2012年11月に衆議院を解散した途端に、多くの日本人は自民党が政権をとりアベノミクスが実施されることを予想しました。そこで多くの投資のプロや経営者たちは、インフレになると考え、それを前提にして行動を開始しました。そのために阿部総裁が首相になる前に相場が動いたのです。
インフレになれば経済が活性化して売り上げが増え、時間が経つほど物価が上昇します。そこで「これからインフレになる」経営者たちが予想すれば、設備や資材などを早めに購入して生産能力の増強に努めます。株価も騰がるので、今のうちに株を買っておこうとします。つまり実態経済が何も変わっていないのに、インフレになったかのように行動し始めるのです。
「市中に出回っているお金を政府と日銀がどんどん増やせば、経済は良くなる」という理論が日本人になかなか理解されなかったので、この金融緩和策がなかなか実施されず日本は20年以上もデフレを脱却できなかったのです。
アベノミクスは三つの施策(三本の矢)から成り立っています。 1、大胆な金融緩和 2、機動的な財政出動 3、民間投資を喚起する成長戦略 ...
2013年初から始まったアベノミクスの効果で景気が回復し始めましたが、2014年に実施された消費増税により頓挫しました。当初の計画では開始から2年後にはインフレ率は2%になるはずでしたが、実現されていません。ただし失業率は徐々に改善されています。