キリスト教・神道と仏教は目的が正反対
キリスト教と神道は健康で満ち足りた生活を実現することが目的であるのに対し、仏教はものを持つことが苦の原因だとしてそれへの執着を断つことを目的としています。キリスト教・神道と仏教は、信仰の目的が正反対なのです。
キリスト教と神道は健康で満ち足りた生活を実現することが目的であるのに対し、仏教はものを持つことが苦の原因だとしてそれへの執着を断つことを目的としています。キリスト教・神道と仏教は、信仰の目的が正反対なのです。
赤穂浪士の何人かの母親はまだ存命でした。老母を置き去りにして子が死ぬのは不孝に当たりますが、彼らはみな討ち入りを選びました。
欧米には家という考え方がなく、同じキリスト教徒同士が助け合うFreedomが単層であるだけです。ここが誠とFreedomとの違いです。
敗戦時、多くの日本の指導者は何とかして天皇陛下の地位を守ろうとしました。また今でも社会の指導的な地位にある多くの人が、天皇陛下のご存在をありがたいことだと思っています。それは神がかりからではなく、長年の人生経験を通じて、天皇陛下のご存在が日本人を結束させていることを実感しているからです。
日本の家は、他の家と互いに密接に関連していて、広義の家を形成しているのです。日本全体が一つにまとまって助け合うのは、家が開放的だからです。
終身雇用と年功序列制度は戦後の高度成長期にだけ見られた現象であり、その後は家制度が昔ながらの状態に戻ったと言えます。戦前に終身雇用や年功序列制度を実施していた組織は陸海軍だけでした。それも士官学校を卒業した士官だけで、徴兵された兵隊はその範囲外でした。
明治以後の家は世襲の要素が少なくなった代わりに、内部の結束を強めるために様々な仕組みが産み出されました。その一つが特に戦後に顕著な年功序列です。学校を卒業した後すぐに企業に入り、長年勤めることで徐々に昇進する仕組みによって、世襲と似たような安定感を醸成するのです。
武士は家の存続と発展を図ることが務めだと考えていましたが、この考え方が明治政府の各組織にも生まれたのです。江戸時代の家は名門武士が指導者となっていましたが、明治政府の組織ではそれが教育を受けた下級武士に替わったわけです。
江戸時代の武士は、正規の「石取り侍」と非正規の「扶持取り」にはっきりと分かれていました。本来の武士は石取り侍であって、足軽など「扶持取り」は...
討ち入りした赤穂浪士の内訳をみると、今の企業の管理職に相当する家老・物頭が3人、正社員クラスの用人・馬廻り・小姓が33人、非正規雇用に相当する下級武士が10人です。46人の8割は、今の企業で言えば正社員だったということです。