支那の皇帝は、周辺国からなめられたら、武力侵攻する
支那の皇帝が周辺国になめられたら、国内で信望を失い内乱が起きるのです。王朝を存続させようと思うならば、何が何でも周辺国に挨拶させなければなりません。
支那の皇帝が周辺国になめられたら、国内で信望を失い内乱が起きるのです。王朝を存続させようと思うならば、何が何でも周辺国に挨拶させなければなりません。
「朝貢」というのは、支那の皇帝に手土産を持っていくという意味です。支那の国内で皇帝に仕えていた家来が皇帝に会うときに手土産を奉ることもあるし、外国の王が支那の皇帝に使いを送り、その使いが皇帝に会うときに、手土産を渡すこともあります。
石平先生は、いまの支那人は皇帝を待望している、と書いています。「そうでもなければ、親の七光りでトップになっただけで何の実績もない習近平が、憲法を改正して終身国家主席になれるわけがないではないか」というわけです。
支那でトップの地位を維持するには、共産党の党首・国家の元首・軍の統帥者の三つを押さえなければなりません。この三つを完ぺきに押さえたのが毛沢東...
王朝末期の内乱による苦しみがあまりに大きいために、群雄の争いに決着がついて新しい皇帝が誕生したとき、支那の農民たちは、「これで内乱が終わる」と歓喜するのです。ところがその皇帝の子孫が悪政を行って内乱が起き、大勢の支那人が死にます。支那の歴史はその繰り返しです。
宦官などの側近が賄賂で政治を行うため、その賄賂をねん出するために地方官が庶民に重税を課すようになります。重税に耐えられない農民たちは、耕作を放棄して流民となり、各地の治安を悪化させ、経済を悪化させます。そしてついに反乱が起こり、群雄が互いに争い、このトーナメントに勝ち残った者が次の王朝を作ります。その過程で農民たちは大変な苦しみを味わい、半分以上の者が死ぬことになります。
始皇帝は、国土を統一した後、万里の長城を増改築し、大幹線道路を敷設し、阿房宮という壮麗な宮殿を建築し、大規模な軍隊を編成しました。そのために約300万人の男子が強制的に徴発されました。
日本に帰化した石平先生は、「支那人は皇帝が大好きだ」と言っています。この本を読んで、支那では政治的な動乱によって、信じられないほど多くの国民が死ぬ理由が、分かってきました。
毛沢東が原爆を開発しようとした時、「そんなことをしたらソ連やアメリカなど支那を敵視する国に原爆を落とされて支那人の半分が殺されてしまう」という反対意見がありました。これに対して毛沢東は、「支那人は繁殖力が強いから、生き残った半分がまた増える。」と言いました。
林彪は毛沢東の後継者に指名されましたが、それでも不安でした。そこで国家主席のポジションを復活させ、その地位に就くことで毛沢東の後継者の地位を確実なものにしようとしました。ところが、毛沢東は国家主席のポジションに林彪を就けることは考えておらず、両者の関係は険悪になっていきました。