仏教の自由は、無条件で勝手気ままに振る舞うこと
仏教僧は建前上は、「財産も無ければ家族もなく、失うものが何もない」生活をしているはずです。失うものがないので、世間体をとりつくろう必要もなく、誰にも気兼ねせずに伸び伸びと振る舞うことができます。こういう状態を、仏教では「自由」と言っています。
仏教僧は建前上は、「財産も無ければ家族もなく、失うものが何もない」生活をしているはずです。失うものがないので、世間体をとりつくろう必要もなく、誰にも気兼ねせずに伸び伸びと振る舞うことができます。こういう状態を、仏教では「自由」と言っています。
一週間ほど前に、英語のFreedomを自由と訳したのは誤訳だ、と書きました。自由という言葉は日本に古くからある仏教用語ですが、Freedom...
Freedomという考え方により、国民は互いに助け合い結束するので、国家が効率よく運営できるようになります。また仲間である国民のためであれば、その障害となる古い制度を打破することができるようにもなります。
Freedomとは、「イエス・キリストと同じ心で判断した」「仲間を助けるためにやった」という二つの条件をクリアーしていれば、律法や法律などの社会的ルールを破っても構わない、という考え方です。
西欧で民族が統一国家を作った18世紀以後は、同じ言葉を話す同一民族を仲間と考えるようになり、宗派が違っていてもキリスト教徒であれば良い、ということになっていきました
キリスト教は、仏教や儒教と違って、修業や教義の勉強が必要だとは考えていません。
人間がイエス・キリストをいちずに信じたら、イエス・キリストはその人間を神様に推薦します。そうしたら、神様はその人間に自分の魂の一部を分け与え、それを風に載せて人間に送り届けます。
原罪とは欲望を抑えられないことで、イエス・キリストはそのコントロールの仕方を人間に教えにきました。
明治初期に、キリスト教用語のFreedomに、仏教用語の自由を訳語としてあてはめました。キリスト教と仏教は宗教の教義の基本構造がまるで違うので、Freedomと自由の意味はかなり違います。
東アジア諸民族は非常に差別意識が旺盛で、その点で仏教による平等観に慣れている日本人とは非常に違います。欧米の白人の有色人種に対する差別は、今...