誠とは、神の言葉に素直に従うこと

キリスト教の信仰から生まれたFreedomという英語を、仏教用語である自由と訳したのは誤訳でした。キリスト教と仏教では、宗教の構造がまるで違うので、Freedomと自由の意味もかなり違うからです。

Freedomは、誠と訳すべきでした。誠は神道から生まれた考え方ですが、神道はキリスト教と宗教の構造が似ているので、Freedomと誠は似ているからです。

誠という言葉が使われるようになったのは江戸時代で、幕末には「誠意」「至誠」などという言い方も尊王討幕の武士たちは使っていました。新撰組でさえも「誠」と染め抜いた羽織を着ていました。

古代の神道は、「清き明き心」という考え方を高く評価していました。神の意思に素直に従う心のことです。それが室町時代に「正直」という言い方に変わり、江戸時代になってさらに「誠」に変わりました。「正直」という言葉は今はウソをつかないというだけの意味ですが、室町時代には誠と同じく深い意味がありました。

「正直」や「誠」がどういう考え方かは、昔話を調べるとよく分かります。「花咲か爺さん」という有名な唱歌があります。「裏の畑でポチが鳴く、正直爺さん掘ったれば、大判小判がザックザック、ザックザク」。

白い子犬が川の中を山の方から流されてきました。神道では山は神様がいる所なので、山からやってきた子犬は神様の使いです。お爺さんとお婆さんが子犬を拾い上げると、子犬は「自分を飼え」と人間の言葉で言いました。二人は、子犬が人間の言葉を話すので神様の使いだということを確信して、家で大切に育てました。

その子犬が裏山に爺さんを引っ張っていき、「ここ掘れ」と人間の言葉で言いました。花咲か爺さんは神の言葉に素直に従い、犬の言うままにそこを掘り、大判小判を手に入れることができました。誠とは、神様の意思に素直に従うことです。

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