誠とは、常識や法律に反しても、断固として行うこと

花咲か爺さんは神の意思に素直に従いました。彼がしたことは、子犬を飼うとか裏の畑を掘るとか普通に誰でもする常識的なことでしたが、浦島太郎がしたことは尋常ではありませんでした。

浦島太郎に助けられた亀がやってきて、「背中に乗れ」と人間の言葉で彼に話しかけたので、浦島太郎はその亀が神の使いだということが分かりました。亀の背中に乗れば、海中に引き込まれて溺れ死ぬことになります。だからいくら神様の意志だからと言って、普通の人なら尻込みするはずです。

日本人の倫理を研究した東大教授の相良亨は、誠の考え方を下記のように説明しています。「無私になり神と全く同じ心になった時、何が正しいのかが分かる。それが分かったら、いかに常識と違っていようが、即座に実践する、という考え方である」

浦島太郎も誠の考え方に基づいて行動しました。神と同じ心になって亀の言うことを聞き、神の意思を理解しました。そこで自分が溺死する危険を顧みずに、亀の背中に乗ったのです。

読者の皆さんも、神道の信仰から生まれた誠という考え方が、キリスト教の信仰から生まれたFreedomの考え方と、よく似ていることにお気づきだと思います。Freedomは、「イエス・キリストと同じ正しい心で」「仲間を助けるために行うことであれば」、法律や律法を破っても構わない、というものです。

誠の考え方には、「仲間を助けるために行うことであれば」という隣人愛の条件は明記されていません。しかし神道の神様である天照大神は、日本人の幸せと繁栄のために働いているので、心の中には隣人愛が当然含まれています。

花咲か爺さんや浦島太郎はおとぎ話ですが、幕末になると多くの日本人が実際に誠の考え方に基づいて行動するようになりました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする