AIに倫理観

AI搭載のロボットの代表に自動運転車があります。車に搭載したセンサーによって刻々と変化していく周辺の状況をAIが把握して、最適の判断をしていきます。しかし突然の地震で、目の前の高架が崩れ、そこからトラックが降ってくるなどということが、起きるかもしれません。

その時に、降ってきたトラックを避けるために、反対車線に行くという判断をAIがした、とします。そうしたら向こうから二台の車が走ってくるのが見えました。自分の車も向こうの二台の車もブレーキをかけているが、間に合わず衝突は避けられない状況になったとします。一台の車は普通の車で女性と子供が乗っており、もう一台は高級なフェラーリで金持ちのドラ息子とその彼女が乗っているとしたら、どちらを優先して避けるべきでしょうか?

AIを作った時に、設計者はこのような場合を想定していません。こういう想定外の事態に対処するために、「AIに倫理観や善悪の判断をあらかじめ教えておくべきだ」という議論がAI業界で起こっています。

日本やアメリカのメーカーなら、女性や子供を優先するように倫理的判断を設定するでしょう。しかし支那のメーカーは高級車に乗った金持ちのドラ息子を優先するようにするかもしれません。事故後の処理を考えたら、金持ち相手では賠償額が増えるかもしれず、権力者には逆らわないのが得策だというのが支那人の常識だからです。

自分だけのことを考えたら、支那方式の車を買う方が有利です。だから日本のメーカーは世界中で良く売れるように、金持ちのドラ息子を優先するような倫理観をAIに植え付けるかもしれません。しかしこのような車を販売することは、日本の伝統文化に反します。

自動運転車の例は少し極端かもしれませんが、AIを不注意に扱うと日本を先進国に押し上げてきた誠の考えを傷つけることになります。だからと言ってAIの開発やめるというのも、非現実的です。AIの問題点を知ったうえで、日本が世界中のAIの倫理基準の標準化をリードし、日本に有利になるように持っていくことが大事だ、と私は考えます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする