国家と国民の関係は、会員制のゴルフクラブと会員の関係と同じです。各会員はお金を払ってクラブの会員になります。これはそのクラブの所有者になったということです。会員たちは総会で投票してそのクラブの運営を決めます。そして、そのクラブのコースで優先的にプレイすることができます。
会員でないビジターもプレイすることが出来るクラブもありますが、その場合でも利用時間が制限されたり、プレイ料金が会員よりも高かったりして、会員より不利な扱いを受けます。また彼らはクラブの総会に出席して、その運営に参画することが出来ません。
日本国家という会員制クラブの所有者は日本人だけであって、選挙権を行使してその運営に参画します。外国人はビジターであって、税金は払わなければなりませんが、日本人と同等のサービスを受けられるわけではありません。
このような、国民が国家の所有者であって優先的に政府の保護を受けられる、という考え方は、誠やFreedomから来ました。誠やFreedomには神道やキリスト教の背景があって、同じ文化・言葉・信仰を持つ者たちを仲間だと考え、仲間どうしで助け合おうと考えます。だから、仲間である国民を優先するのです。
国籍や国境を無視してすべての人間を同じように扱うべきだというグローバル主義は、仏教やマルクス主義という神道やキリスト教とは別の宗教的背景を持っています。
マルクス主義はキリスト教を否定するので、「文化や言語を共有する仲間どうしで助け合おう」という考え方を否定し、国境のない世界を理想と考えるのです。
マルクス主義は神道も否定するので、「仲間である日本人同士で助け合おう」という考え方を否定します。神道を否定されて空白になった日本人の心を埋めたのは、マルクス主義だけでなく、むしろ大乗仏教の発想でした。
大乗仏教は極端な平等主義で、人種・民族・男女の差など人間を区別する考えをすべて否定し、すべての人間は全く同じだ、と考えるので、現象的にはマルクス主義と同じです。一部の日本人が「外国人差別」「ヘイト」に反対するのは、この大乗仏教の発想からです。
今世界は、仲間どうしで助け合おうとする誠・Freedomの考え方と、国境や国籍があってはならないというグローバル主義の争いが起きています。そしてそれぞれに宗教的背景があってお互いに相いれないので、両者を足して二で割る、ということはできません。
誠・Freedomを選べば、豊かで安定した社会を作ることが出来ます。マルクス主義や大乗仏教を選べば、全体主義の経済的にも貧しい社会になります。