私は、アトキンソンさんが書いた文章を読んだり、今回のパンデミックの際に日本が「お願い」ベースの緊急事態宣言しか出せなかったことを見たりして、「日本人は、私権を制限することはあってはならない」と思い込んでいることを、改めて強く感じました。
この思い込みの結果、成長戦略を実施することが出来ず日本は30年間経済成長していません。オリンピックでさえ変則的にしか行えません。このままさらに推移したら、日本は途上国になってしまいます。このようなことになったのも、日本人が「自由」の意味を誤解しているからだ、と考えます。
明治初期に西欧で学んだ中江兆民や中村正直などの啓蒙家たちは、近代社会を作り上げたのはFreedomという考え方だということを知りました。そして日本を近代化するために、日本もFreedomを導入するべきだと考えました。その時に、Freedomを「自由」と訳しました。
明治政府も啓蒙家たちの考え方に賛同し、国家を挙げてFreedomを導入しようとし、大日本帝国憲法を制定して、「自由」を国民に保障しました。このような経緯で、日本人は「自由」が社会の基本原則であると考えるようになりました。この考えは、敗戦後も続き、日本国憲法も「自由」を基本的人権としています。
明治初期にFreedomを自由と訳したので、日本人は今でも、Freedomと自由は意味が同じだと思っています。ところが実際には、Freedomと「自由」はかなり意味が違います。日本に昔からあった「自由」という漢字をFreedomの訳語として用いたのですが、「自由」は、もともと大乗仏教の用語なのです。
その意味は、「他人が周囲にいないかのように勝手気ままに振舞うこと」というものです。「自由の権利」とは、「勝手気ままに振舞っても良い」という権利だということになり、それを憲法で保障しているのだから、政府が私権に介入してそれを制限することは憲法違反になります。そして現にそのようになっています。
そこで、西欧の文献を読んで、Freedomには「仲間である国民を守るためには私権を制限しなければならない時がある」、という考え方があることを明らかにしようと思います。