日本の会社を理解していない

アトキンソンは、日本の経営者を「奇跡的に無能だ」と罵倒しています。そして具体例としてホテルの経営者の例をあげています。「おもてなし」の心を強調するその経営者は、従業員にベッドの下の目に見えないところまできれいに掃除することをもとめています。しかしそんなことを客は求めているのだろうか。そのような大変な掃除を強いられる従業員のことを考えているのだろうか、とアトキンソンは問うのです。

そのような極端な例をいろいろ挙げて、日本の経営者が無能だと説明しています。また、日本の経営者は目先のことしか考えていない、とも批判しています。それに対してアメリカの経営者の能力は世界一だ、とほめています。

たしかに近年の経営者が劣化していることは、私も認めざるを得ません。しかし、アトキンソンの本を読みながら、「問題は別のところになる」ということを感じました。欧米の企業と日本の企業は、本質的に異なるのです。

欧米の企業は株主のものです。この発想はルネッサンス期のイタリアで株式会社が生まれた時から一貫して変わりません。従業員は単に企業に雇われた者というだけのことで、会社の経営に対して何の責任もなく、ただ雇用契約で定められた自分の仕事をこなせばよいのです。

ところが日本では、企業に雇われて働いている人を、「雇い人」と呼ぶのではなく、「社員」と呼ぶのが一般的です。「社員」という言葉は、「会社のど真ん中にいて会社を支えている者たち」という響きがあります。会社の経営が苦しくなると、「社員」もそれぞれの立場で会社を支えようとします。

日本の企業は、経営者と「社員」が一体となっている共同体です。株主や銀行は会社の外にある利害関係者であって、株主が会社の所有者という意識はありません。この発想は、江戸時代の大名家や商家からの伝統を受け継ぐ考え方です。この考え方は大きなテーマなので、別の機会に詳しく説明しようと思います。

日本の企業は、経営者と社員が一体となっている共同体なのですが、明治になって欧米の考え方で「会社法」を作りました。この法律の建前では、企業は株主の所有物であり、社員は単なる「雇い人」です。明治以来日本の企業は、実態と異なる法律によって規制を受けてきました。

近年、経済の国際化が進み、上場企業の株主の多くは、海外の投資家です。彼らは欧米の発想で日本の企業を見て、経営者にいろいろと注文をつけます。法体系は彼らの視点を支持しているため、経営者は彼らの要求を飲まざるをえません。今日本に企業では、実態と経営の乖離現象が顕著になっています。

アトキンソンは、日本企業の実態と経営の乖離現象を理解していません。そのために、日本の経営者を「奇跡的に無能だ」、などと言っているのです。

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