明治初期の日本人は、自由主義を原則としていた
明治初期の日本は、不平等条約の改正を目指して、「日本は文明国なのだ」と主張する「文明開化」を推進していました。従って、イギリスやアメリカなどの「文明国」が採用している自由主義の原則を日本政府が頭から否定するはずがありません。
明治初期の日本は、不平等条約の改正を目指して、「日本は文明国なのだ」と主張する「文明開化」を推進していました。従って、イギリスやアメリカなどの「文明国」が採用している自由主義の原則を日本政府が頭から否定するはずがありません。
多くの方は、「富国強兵」「天下国家」と自由主義の相性は悪いのではないか、と思われるかもしれませんが、それは誤解です。キリスト教の信仰から生まれたFreedomには「富国強兵」の要素があります。
東京商法会議所は、経済問題に限ってのことではありますが、世論を集約する場所であり、「経済的な国会」のような機能がありました。この東京商法会議所が変遷を経て今の経団連になっているわけですから、経団連が「天下国家」を論じるのは当然です。
大アジア主義についてブログに記事を書いているうちに、「最近の企業の経営者の考え方が小さくなっている」という思いを新たにしました。「昔はよかっ...
赤穂浪士の何人かの母親はまだ存命でした。老母を置き去りにして子が死ぬのは不孝に当たりますが、彼らはみな討ち入りを選びました。
欧米には家という考え方がなく、同じキリスト教徒同士が助け合うFreedomが単層であるだけです。ここが誠とFreedomとの違いです。
敗戦時、多くの日本の指導者は何とかして天皇陛下の地位を守ろうとしました。また今でも社会の指導的な地位にある多くの人が、天皇陛下のご存在をありがたいことだと思っています。それは神がかりからではなく、長年の人生経験を通じて、天皇陛下のご存在が日本人を結束させていることを実感しているからです。
日本の家は、他の家と互いに密接に関連していて、広義の家を形成しているのです。日本全体が一つにまとまって助け合うのは、家が開放的だからです。
終身雇用と年功序列制度は戦後の高度成長期にだけ見られた現象であり、その後は家制度が昔ながらの状態に戻ったと言えます。戦前に終身雇用や年功序列制度を実施していた組織は陸海軍だけでした。それも士官学校を卒業した士官だけで、徴兵された兵隊はその範囲外でした。
明治以後の家は世襲の要素が少なくなった代わりに、内部の結束を強めるために様々な仕組みが産み出されました。その一つが特に戦後に顕著な年功序列です。学校を卒業した後すぐに企業に入り、長年勤めることで徐々に昇進する仕組みによって、世襲と似たような安定感を醸成するのです。