イスラム教社会では、Freedomが育たない

イスラム教では、毎年ラマダンの月(今年は5月15日~6月14日)には、日の出から日没までの間、一切飲み食いをしてはいけません。口の中の唾液を飲み込んでもいけないし、煙草を吸ってもいけません。

健康な人は断食しても問題はありませんが、病人や妊婦、砂漠をラクダで横断中の旅行者などが断食をするのは現実的には不可能です。そこでスンナやハディースというコーランよりも下位の聖典が、断食が免除される場合を詳細に規定しています。

コーラン及びスンナ・ハディーズに従っていたら日常生活は特に大きな問題もなく過ごせます。せっぱつまってコーラン・スンナ・ハディーズの規定を無視しなければならないような事態は、まず起こらないのです。

どうしても判断しなければならないときは、イスラム法学者に質問すればちゃんと回答が与えられます。このような経緯から、イスラム社会では、イスラム教の定めたルールに従うか否かを、自分で判断する習慣が育ちませんでした。イスラム教の掟通りに行動することに、疑問を持たないようになるのです。

「イスラム教の社会が近代国家を作れないのは、Freedom(自由)の考え方がないからだ」と書いてある書物を読んで、私はなるほどと思いました。

キリスト教の信仰から生まれたFreedomというのは、下記のような考え方です。
1、イエス・キリストを信じれば、神はその信者に神の魂を分けてくれる
2、神の魂がくっついた信者の魂は、正しくなる
3、魂が正しくなったら、自然に仲間を助けるようになる
4、正しい心を持った者が人を助けるためであれば、ルールを破っても構わない

キリスト教社会では、「みんながもっと幸せになれるように、社会のルールを変えよう」と主張する社会変革の運動を起こすことができます。

イスラム教には、4の「正しい心を持った者が人を助けるためであれば、ルールを破っても構わない」という考え方がありません。いかなる場合でも社会の法律・慣習・宗教のルールを守らなければなりません。イスラム教では、Freedomの考え方が育たないのです。

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