是清は満35歳の時に巨大な詐欺事件に巻き込まれ、全財産を失い失業してしまいました。彼には他人のために無理をして、せっかく順調に回っていた生活を自ら狂わせるという性癖があります。
他人のために無理をして失敗しても、神さまは必ず助けてくれる、と是清は信じ込んでいました。彼は養祖母から立派なしつけを受けていたうえに、若いときにキリスト教徒になっていました。だから誠と隣人愛の両方の教えを授かっていたのです。
ペルーから日本に帰国後、是清は役人に復帰しようとは考えませんでした。彼は自伝で下記のように書いています。
「友人たちの中にはいろいろ親切に奔走してくれて、あるいは北海道庁とか某県の知事とか群長とかに世話しようと再び官途につくことを勧めてくれたが、私はいずれも厚く親切を謝して断った。というのは、これまで私が官途に就いたのは衣食のためにしたのではない。今日まではいつでも官を辞して差し支えないだけの用意があったのである。従って上官のいうことでももし間違っていて正しくないと思うたときは、敢然これと議論して憚るところがなかった。
しかるに今や私は衣食のために苦慮せねばならぬ身分となっている。到底以前のように精神的に国家に尽くすことはできない。時によれば自分の意志に沿わないことでも、上官の命であればこれを聞くことを余儀なくされぬとも限らない。かかる境遇の下で官途につくことはよろしくないと考えた」
彼は家族に次のように言いました。「この上は運を天にまかせ、一家の者は一心となって家政を挽回するに努めねばならぬ。ついてはこれから田舎に引き籠って大人も子供も一緒になって、一生懸命働いてみよう。しかしなお餓えるような場合になったら皆も私と共に餓えて貰いたい」