火薬の国産化に成功し、南蛮人を追放した

昔のヨーロッパの都市には下水設備がなく、人間の排泄物はアパートの窓から通りに投げ捨てていました。通りを歩いている時に上から降ってくる危険があるので、男も女も外出時には帽子を被っていたわけです。フランス革命の時、おばあさんたちは国王の軍隊に対して、窓から糞尿を投げつけて攻撃した、という話があります。

馬車を引っ張っている馬も通りに糞尿を落としたので、ヨーロッパの都市の通りの土は、アンモニアを豊富に含んでいました。その土と石灰を混ぜて1~2年寝かせれば、硝酸カリウムができたのです。雨が少ない南欧では、動物の排泄物が積もってできた自然の硝石も採掘されていました。

日本の都市では、人家の便所に溜まった糞尿を汲み取り屋が購入し、担いで行って田畑の肥料にしました。そのため都市の道路は非常に清潔で、その土にはアンモニアなど含まれていなかったのです。おまけに日本は雨が多いので、牛馬が落としたアンモニアも水に流されてしまいました。

そこで日本人は硝石の工場を作りました。屋根のある小屋の中で、人間や動物の糞尿と石灰・草などを混ぜ発酵させて硝酸カリウムを作ったのです。家の床下にはネズミや野生動物が住んでいたので、排泄物がたまっています。その土を採取して、そこから硝石を作る方法もありました。

戦国時代末期から江戸時代初期にかけて日本人は工夫を重ねて、ついに硝石の国産化に成功しました。そうなれば南蛮商人から火薬を買う必要などありません。日本人奴隷の取引をしていた南蛮人を追放し、彼らと一体になっていたバテレン(宣教師)も追放したわけです。

江戸幕府の軍事力は南蛮人よりはるかに大きかったので、彼らは軍事力で対抗するわけにもいかず、おとなしく日本を去っていきました。

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