戦国時代、日本は火薬を国産出来なかった

話が少し横道にそれますが、1543年にポルトガルの貿易船が種子島に漂着し、土地の領主種子島時堯に二挺の鉄砲を売りました。この時の鉄砲の値段は、一挺1000両でした。江戸時代の一両は約10万円ですから、1000両は1億円になります。破天荒の高値で鉄砲が売れたので、ポルトガル商人は狂喜しました。

鉄砲に目を付けた日本の武器商人は、堺や国友などで鉄砲を量産し始めました。日本の工業技術のレベルは高く、鉄砲などすぐに国産できたのです。だからポルトガル商人が母国で大量に鉄砲を仕入れ再び日本に来たときは、日本には数千挺の国産鉄砲がすでにあり、ポルトガル商人の夢は潰れました。

日本人は、鉄砲は国産できましたが、火薬を作れなかったので当面は輸入に頼りました。南蛮貿易の主な輸入品は火薬だったのです。

南蛮人(スペイン人、ポルトガル人)は、貿易と植民地獲得とキリスト教の布教をワンセットにしていました。戦国大名にとっては軍備を整えることは死活問題ですから、どんなに無理をしても火薬を手に入れなければなりません。

そこで多くの戦国大名がキリシタンに改宗し火薬を売ってもらったわけです。さらに南蛮人の機嫌をとるために、土地をカトリック教会に寄進する大名まで現れました。領主が改宗したので領民もそれにならい、最盛期には日本人の1割がキリシタンでした。

日本人への布教が順調に進んだので、日本に来ていたスペイン人たちは、日本の植民地化をも考えるようになりました。それを豊臣秀吉や江戸幕府が察知したために、キリシタンを禁教にしてバテレン(宣教師)を追放し、最終的には南蛮貿易を廃止しました。少なくとも教科書では、日本の鎖国の原因をこのように説明しています。

たしかにその通りなのですが、教科書はもっと大きな原因を隠しています。

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