イエス・キリストを信じない者は野蛮人である、とキリスト教徒は考えた

ヨーロッパ人たちが平気でアメリカの原住民を虐殺した理由の2番目として、キリスト教の教義が挙げられます。

キリスト教は、仏教や儒教とは宗教の基本的な構造が違います。仏教は修行を行うことにより、自分の心から欲望を消し去ろうとします。儒教も四書五経などを読んで、儒教の考え方を身に付けなければなりません。どちらも「努力して悟る」という自力本願の宗教です(大乗仏教の中には他力本願を標ぼうしている宗派もありますが、教義を詳しく見てみると本当は自力本願です)。

キリスト教では、信者がイエス・キリストを信じれば、イエス・キリストは神にその信者を推薦することになっています。そうすると、神は「イエス・キリストがそこまで言うのだったら」と、その信者に神の魂を分け与えてくれます。神の魂が信者の魂に付着すると、その信者の心が正しくなり、仲間と助け合うことができます。

つまり、イエス・キリストを信じさえすれば、人間関係が良くなり幸運に恵まれ仲間からの援助を得て、いろいろなことがうまく行き幸せになる、という他力本願の宗教です。修行したり難しい本を読んだりする必要はありません。

逆に言うと、洗礼を受けキリスト教徒にならなければ、本人がいくら修行をしても無駄で、心は欲望でいっぱいのままなのです。キリスト教は人間の欲望を「原罪」と呼んでいて、人間の努力で消し去ることができるほど生易しいものではない、と考えています。

洗礼を受けたか受けていないかで、その人間の心が正しいか否かを判断するわけで、基準がはっきりしています。洗礼を受けたキリスト教徒は文明人で、異教徒は野蛮人です。

アメリカの原住民は、キリスト教徒ではなくイエス・キリストを信じているわけでもないので、心は邪悪で獣と同じようなものだと、コンキスタドールたちは考えました。だから彼らは、やましさを感じることなく原住民を虐殺しました。

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