イエス・キリストの存在を知らなかったら、浮かばれない

キリスト教は、「イエス・キリストを信じなければ、本人がいくら修行をしても無駄で、心は欲望に満ち邪悪なままだ」と教えています。

イタリア・ルネッサンスの有名な作家であるダンテが、『神曲』という小説を書きました。ダンテ自身が死後の世界に行って、そこで経験したことを書いたという、ドキュメンタリー風の小説です。

死後の世界は、天国と地獄のほかに煉獄というその中間にある半端な世界の三つに分かれています。ダンテが煉獄を旅した時、彼はヴェルギリウス(BC70~BC19)という古代ローマの詩人に遭いました。ヴェルギリウスは非常に立派な人物なので、当然天国にいるとダンテはそれまで思っていました。

そこでダンテがヴェルギリウスに、「なぜあなたは、こんなつまらないところにいるのか?」と質問したところ、ヴェルギリウスは「イエス・キリストを知らなかったためだ」と答えました。

彼はキリスト生誕前に亡くなったので、イエス・キリストの存在を知らず、彼を信じることができませんでした。従ってイエス・キリストも彼を神様に推薦せず、神も彼の心を正しくしようとしませんでした。

似たような話は、日本にもあります。戦国時代にフランシスコ・ザビエルが日本にやってきて、ある日本人を改宗しようとしました。その日本人がザビエルに、「私の両親やお先祖様は、イエス・キリストのことを知らないままに亡くなったのだから、みんな地獄に堕ちているのですか?」と質問しました。

ザビエルが「その通りだ」と答えると、その日本人は「ご先祖様を地獄にほっておいて、自分だけ天国に行くわけにはいかない。ご先祖様と一緒に地獄で暮らします」と言って、改宗を拒否しました。

「イエス・キリストを信じなければ心が正しくならず、野蛮人のままだ」という教義はこのように大きな問題を抱えているのですが、これがキリスト教の信仰の本質なのです。これを忘れないでください。