百姓は、害獣の駆除、村の治安の維持のために武器を必要としていました。さらに村と村が戦うことが多くあり、自衛のために武器を使う必要もありました。当時の村は自治が原則だったので、藩も村と村の争いにあまり介入をしなかったのです。
ではなぜ秀吉は刀狩をしたのかといえば、身分をはっきりと分けるためでした。庄屋など高い身分の者は帯刀(大小の両刀を差す)ことを認めるが、普通の百姓は脇差しか差せない、というように区別し、社会の秩序を保とうとしたわけです。刀狩りは百姓の持っている武器を取り上げるのが目的ではなかったので、形式的に若干の刀を没収しただけでした。鉄砲やヤリは身分とは無関係なので、役人たちは関心を持ちませんでした。
百姓の持っている武器の方が、藩の武士が持っている武器よりも数がはるかに多かったのです。だから一揆の時に百姓たちが武器を使ったら武士に勝ち目はありませんでした。そこで武士は一揆の鎮圧に武器を使用しないようにして、百姓を過剰に刺激しないようにしました。そしていつの間にか、幕府も大名も百姓も、一揆の時は武器を使わないという暗黙の了解ができました。
明治の廃刀令も基本的に刀狩と同じく、刀を腰に差すことを禁じただけで、取り上げようとはしませんでした。戦前までの日本は、百姓や一般人が当たり前に武器を持っていました。つまり自衛権が認められていたのです。
日本が戦争に負けたとき、アメリカ占領軍は徹底的に武器を没収しました。拳銃・小銃・猟銃・刀など、美術品や害獣駆除のための武器を除いておよそ300万本を没収して廃棄しました。このときに日本人は初めて丸腰になりました。その時の丸腰感と秀吉の刀狩の記憶が結びついて、「日本の百姓は400年前から丸腰だった」という神話ができてきたのでしょう。戦前は村にかなりの武器があったので丸腰感などあるはずがないのです。