基本的人権を日本人はどう理解しているか

日本人は、自由や平等という言葉をあまり使おうとしません。自分たちの権利を主張するときは、自由と平等という言葉の代わりに、基本的人権という言葉をよく使います。自由という言葉は「自由のはき違え」を、平等という言葉は「悪平等」を連想させるので、これらの言葉を使うのに抵抗があるからでしょう。

キリスト教の信仰から来た自由(Freedom, Liberty)や平等( Equality)という言葉の訳語に仏教用語である自由や平等を使ったので、もともとの意味が伝わらず様々な誤解が生じました。そのために日本人は自由や平等という言葉を十分に信頼できないのです。

キリスト教の自由に近い日本語はで、平等に近いのは役目です。この二つの考え方を日本人は人間関係の基本と考えており、日常的に良く使います。つまり日本の「実質的な憲法」の中心には、誠と役目という考え方が据えられています。

「基本的人権」という法律用語は、もともとは自由と平等を意味しましたが、近年は社会的弱者を保護しようという「生存権」をも含めるようになりました。日本国憲法は「生存権」を基本的人権の一つとして規定しています。

ところがアメリカの憲法は、「生存権」を規定していません。それはキリスト教の自由という考え方の中に弱者保護の考え方が含まれているからです。「仲間を助けるという正しい目的のためならば、社会のルールを無視しても構わない」というのがキリスト教の自由の考え方です。だから、困っている仲間を助けるという考え方が、自由に含まれているのです。

誠という考え方にも「困っている仲間を助ける」という意味が含まれています。日本国憲法の中で自由という言葉を使わずに誠という言葉を使っていたら、「生存権」をわざわざ追加する必要もなかったはずです。

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