日本国憲法の第13条に幸福追求権が規定されています。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。プライバシーや日照権など従来は規定されていなかった新しい権利を認定するときに、日本の裁判所はこの幸福追求権を引き合いに出して認めています。
この幸福追求権の規定は、アメリカの独立宣言の中の文言をそのまま借用したものです。独立宣言の冒頭では次のように書かれています。「われわれは、以下の事実を自明のことだと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」。独立宣言と日本国憲法13条は、文章までそっくりです。
実は、この幸福追求権は、もともと財産を増やす権利のことでした。ヨーロッパからアメリカに渡ってきた移民は、新天地でインディアンを追い払い、荒れ地を開拓し、大いに働いて財産を作ることを夢見ていました。独立宣言の起草者は、「一所懸命働いて財産を作ることを、国家も応援するよ。せっかく築いた君の財産を国家がまきあげるようなことは、しないよ」という意味の内容を独立宣言に織り込もうと考えました。
しかし、自由や平等といったキリスト教の信仰に根差した格調の高い言葉と並べると、「君たちしっかり稼いで良いんだよ」という内容は品格がガタンと落ちます。そこで「幸福追求権」という見栄えの良い言葉に置き換えたのです。
ところがこの言葉が日本国憲法に書かれると一人歩きをはじめて、「将来生まれるであろう新しい権利を保障する大事な権利」だということになってしまいました。
日本国憲法の内容を日本人は理解しておらず、ましてやその制定に関与していません。だから日本国憲法は成立していません。その証拠の一つが、この「幸福追求権」の規定です。