日本は人種問題に深入りすべきでない

かつての人種差別は白人が加害者で有色人種は被害者でした。批判的人種理論は、「白人が加害者で有色人種は被害者」という構図を前提にして、「だからいま、白人は有色人種に償いをしなければならない」と主張しています。批判的人種理論は裏返しの人種差別なのです。

批判的人種理論を主張する者は非常に戦闘的ですが、それは、批判的人種理論は共産主義理論だからです。

共産主義は、唯物史観という歴史観を前提にしています。古代奴隷制・中世封建制・近代資本主義と歴史が発展して、資本主義社会では資本家が加害者で被害者である労働者を搾取している、と考えます。そのうちに革命が起きて共産主義社会が生まれるわけです。これが歴史的な真理だから、唯物史観に従っている我々は正しい、と考えるわけです。

批判的人種理論では、資本主義社会は資本家が労働者を搾取しているのですが、同時に白人が黒人を搾取しているわけです。だから革命を起こして、加害者である白人の心に唯物史観を叩き込んで、人種差別の気持ちをなくさなければなりません。

キリスト教では、人間がキリスト教を信じれば、神はその信者の心を正しくする、と考えます。共産主義は宗教を否定しているので、神を持ち出すわけにはいきません。そこで、唯物史観という聖典を持ち出して、人間が唯物史観を信じれば心が正しくなる、と考えます。共産主義は、キリスト教の変形です。

日本人は、キリスト教の発想を理解できないので、アメリカの人種差別の構造を理解できません。日本人は、人種差別は100%悪いことだ、と信じて疑いません。黒人を差別し奴隷にした白人のキリスト教徒にもそれなりの理屈や善意があったのだ、ということが理解できません。

そこで、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議の時に、「人種平等案」を提案し、白人キリスト教国から総スカンを食い、この時の怒りがあとあとまで緒を引いて、アメリカと戦争をするまでになりました。

異教徒の黒人を奴隷にするのは、隣人愛の実践だとも考えられたのです。キリスト教やそこから生まれたFreedomは隣人愛を重視します。異教徒がキリスト教に改宗すれば、神様はその人間の心を正しくし、さらに幸せにします。異教徒をキリスト教徒にすることが、最大の隣人愛の実践です。

多くの異教徒はキリスト教に改宗するのを嫌がるので、そういう場合は強制するのが正しい、とFreedomは考えます。異教徒は子供と同じで、強制的に教育をしなければならないのです。

欧米のキリスト教宗派は、明治時代に人材を派遣し費用を負担して、日本に大学を作りました。上智大学、立教大学、青山大学、同志社大学、関西学院大学などです。彼らは教育を通じて日本人をキリスト教徒にしようとしたのです。

キリスト教は、自分の宗教が正しいと考え、異教徒を改宗させようとする宗教なのです。そういうことをまずは理解しなければなりません。

ところが、日本人はキリスト教が分からないし、共産主義がキリスト教のパクリだということも分かりません。だから、いまアメリカで起きていることを正確に理解することが出来ないのです。それを、大乗仏教の平等や暴力反対などの発想で考えてもピントの外れたものになるだけです。

アメリカの人種差別騒動は、アメリカ人がやったことが原因であり、日本人にとっては対岸の火事です。それを批判的人種理論に賛同して日本に持ち込もうなどと考えてはなりません。

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