毛沢東は文化大革命を始めて、自分の権力を奪還しようとした
大躍進運動の失敗によって、共産党内部で毛沢東批判が噴出し、彼の地位が危うくなりました。そこで彼は、一般民衆を味方につけて自分を批判する共産党幹部を失脚させ、自分の権力を立て直そうとしました。これが文化大革命です。
大躍進運動の失敗によって、共産党内部で毛沢東批判が噴出し、彼の地位が危うくなりました。そこで彼は、一般民衆を味方につけて自分を批判する共産党幹部を失脚させ、自分の権力を立て直そうとしました。これが文化大革命です。
大躍進運動が失敗したので、党内では毛沢東を批判する声が高まってきました。その代表が劉少奇と鄧小平です。このままでは自分の地位が危ないと思って毛沢東がはじめたのが、文化大革命です。
大躍進運動によって穀物の生産が激減したのに、側近たちは毛沢東に「大豊作だ」とウソを言いました。そこで毛沢東は、余るはずの穀物を輸出に回しました。その結果、5000万人が餓死しました。
毛沢東は、「支那こそが本当の共産主義国家だ」ということを証明しようとしました。共産主義は、私有財産を否定し全ての生産設備を国有化する、というのが本筋です。農業も個々の農家の土地を取り上げて、多くの家族が一緒になって集団で行うべきなのです。そこで毛沢東は、農業の集団化を行うことにしました。
側近たちは、毛沢東に女を提供するシステムを作り上げました。若い女を集め、ダンスパーティーを催しました。
毛沢東の死去という事実自体が非常に大きな政治的事件ですから、最高幹部や側近たちはその事件によって自分が不利にならないように警戒していました。中でも、自分の判断ミスで毛沢東が死んだという責任を負わないように最大の注意を払っていました。
毛沢東は基本的に健康なので、主治医など必要ありませんでした。そこで李志綏は病院で外科医として仕事をしたかったのですが、毛沢東は彼を手放そうと...
毛沢東は膣トリコモナスという性病にかかりました。放置すれば大勢の愛人に移してしまうので、李志綏は毛沢東に事情を説明し、毛沢東の性病を治そうとしました。ところが毛沢東は、自分の治療を拒否しました。自分が痛痒を感じないので特に問題はない、というのです。
毛沢東は、自分が陰謀を好むので、他人も自分に対して陰謀を企んでいる、と絶えず疑っていました。
離婚すれば、やはり毛沢東の威信を傷つけるので、江青を妻にしておくことで毛沢東は外聞を保つことができました。また江青を気に入らない部下たちを失脚させる道具にも使おうとしました。このような理由から、毛沢東は、江青が毛沢東の側近たちにキャンキャン言うのを放置しました。