アジアの人権活動家は、Freedomや誠の考え方を持っているのか
アジアの中で、国民全体が仲間となって助け合う(Freedomあるいは誠)という考え方を持っているのは、日本人だけです。だから日本だけが、19世紀の危機を乗り越えることができたのです。
アジアの中で、国民全体が仲間となって助け合う(Freedomあるいは誠)という考え方を持っているのは、日本人だけです。だから日本だけが、19世紀の危機を乗り越えることができたのです。
孫文はかつての同志から「大ボラ吹き」と言われて嫌われていました。日本が相手にしなくなったので金に困った孫文は、資金欲しさにソ連の提案を受け入れました。
アメリカが支那の人権問題に介入する動きを見た日本人は、付和雷同して、日本も介入すべきだと主張し始めています。しかし、日本の誠には、わざわざ自分の方から押しかけて行って、邪悪な相手を叩きのめすという考え方はありません。
第二次世界大戦後の欧米や日本で、民族主義に反対するグローバル主義が強くなってきました。欧米と日本で似たような現象が起きていますが、その原因は...
キリスト教がいう「隣人」とは、人類全部という意味ではなく、「親しい仲間」という意味です。
国が近代化するとは、同じ民族だという意識を持った大集団ができたということです。そして大きくなった人口と国土を効率よく活用することで、経済的にも軍事的にも強力な国家を作ったということです。即ち、国の近代化と民族主義化は、同じことなのです。
第一次世界大戦後の世界は、民族主義全盛の時代で、国際連盟の原則は「民族自決」でした。第二次世界大戦後も民族主義が大原則で、国連も「民族自決」の原則を掲げています。従って今の国際関係も民族主義の原則で出来上がっています。
「国語」というのが出来たのは近代になってからです。それ以前は方言の違いが大きくて、少し離れた地域の住民とは話が通じませんでした。言葉が通じなければ仲間だという感情が生まれないのも当然です。
ダライ・ラマやパンチェン・ラマはチベット人とモンゴル人の尊敬を集めていたので、支那の皇帝も敬意を払わざるを得ませんでした。このように、支那とチベットの関係は、国と国との関係ではなく、チベット仏教の指導者と支那の皇帝の個人的な関係だったのです。
インド人は、性的なことを表現することが好きで、「カーマ・スートラ」など性の教科書とでも言うべき古典もあります。そのような「性の技術」が大乗仏教とともにインドからチベットに伝わりました。