民族主義化しないとグローバル化もしない
国が近代化するとは、同じ民族だという意識を持った大集団ができたということです。そして大きくなった人口と国土を効率よく活用することで、経済的にも軍事的にも強力な国家を作ったということです。即ち、国の近代化と民族主義化は、同じことなのです。
国が近代化するとは、同じ民族だという意識を持った大集団ができたということです。そして大きくなった人口と国土を効率よく活用することで、経済的にも軍事的にも強力な国家を作ったということです。即ち、国の近代化と民族主義化は、同じことなのです。
第一次世界大戦後の世界は、民族主義全盛の時代で、国際連盟の原則は「民族自決」でした。第二次世界大戦後も民族主義が大原則で、国連も「民族自決」の原則を掲げています。従って今の国際関係も民族主義の原則で出来上がっています。
「国語」というのが出来たのは近代になってからです。それ以前は方言の違いが大きくて、少し離れた地域の住民とは話が通じませんでした。言葉が通じなければ仲間だという感情が生まれないのも当然です。
ダライ・ラマやパンチェン・ラマはチベット人とモンゴル人の尊敬を集めていたので、支那の皇帝も敬意を払わざるを得ませんでした。このように、支那とチベットの関係は、国と国との関係ではなく、チベット仏教の指導者と支那の皇帝の個人的な関係だったのです。
インド人は、性的なことを表現することが好きで、「カーマ・スートラ」など性の教科書とでも言うべき古典もあります。そのような「性の技術」が大乗仏教とともにインドからチベットに伝わりました。
私たちはチベットに対して、貧しくて支那にひどい目に遭わされている可哀想な国というイメージを持っています。ところが7世紀のチベットには吐蕃という王国があって、唐と戦争をしても一歩も引きませんでした。
最近、支那政府がウイグル人を弾圧している、というニュースが急に増えてきました。イスラム教の信仰やウイグル語を話すことを禁じ、それに従わない者...
台湾が歴史的に支那の一部であったことはありません。その実態を無視して中共も中華民国も「一つの中国」を主張したので、日本人は実態が分からなくなっただけなのです。
石垣島の島民が台湾の原住民に殺されるという事件が起こりました。日本政府が清に抗議したところ、清政府は、「原住民は国家統治の及ばない者であるから、日本が殺人を犯した原住民を討伐することに異議を唱えない」という返事をしました。台湾が清の領土か否か、非常にあいまいな態度をとったのです。
天安門事件を起こした支那を世界中が制裁しました。ところが日本がまっさきに制裁破りをしたために、欧米の制裁もうやむやになってしまいました。支那をここまで増長させた元凶は日本なのです。天安門事件30周年の今年、「この時、日本は判断ミスをした」という反省の意見が多く出ています。