キリスト教や神道という内心の宗教が、近代社会を作った
Freedomや誠は、外観を内心に合わせようとします。その考え方が社会を合理的に変革する原動力になり、近代社会を作りました。
Freedomや誠は、外観を内心に合わせようとします。その考え方が社会を合理的に変革する原動力になり、近代社会を作りました。
イスラム教には、「正しい心を持った者が人を助けるためであれば、ルールを破っても構わない」という考え方がありません。いかなる場合でも社会の法律・慣習・宗教のルールを守らなければなりません。イスラム教では、Freedomの考え方が育たないのです。
もしもイスラム教の教義の中に、社会のルールが時代遅れになったから変えても良い、という考え方があるのであれば、イスラム教の教義に基づいて社会制度を変革できるはずです。
ユダヤ教とキリスト教の神はともに「ヤハウェ」と呼ばれ、同じです。イスラム教の神は「アラー」ですが、これはヤハウェをアラビア語に翻訳した言葉です。つまりユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神様を信仰しています。
人口の圧倒的多数がキリスト教徒になったわけではなく、信者が増えてからの期間も短いので、「自由」の考え方が支那人や朝鮮人に定着することは、当面はないでしょう。だから先進国になるのは難しいと思います。
キリスト教から生まれた「自由」という考え方が先進国を作り上げましたが、そのためにはキリスト教の信仰が、少なくとも1000年間はその民族の主要...
世界の歴史を大きく捉えてみると、他人どうしが自然に助け合って社会を変革していくような文化が醸し出されるには、1000年ぐらいキリスト教または神道の信仰が継続していなければならない、という推定が成り立ちます。
今の日本では、天皇陛下は政治に口を出されてはならない、と考えられています。私もこの考え方にあながち反対ではありません。しかし天皇陛下も日本を想う気持ちをお持ちのはずで、そこまで遠慮なさることはありません。
キリスト教と神道が分かっていないから、学者はFreedom(自由)とEquality(平等)の重要性を実感できないのだと思います。その重要性が実感できないから、民主主義とか主権在民などと、「誰が政治を行うのか」という問題に関心が集中してしまうのです。
Freedomと同じ考えが日本にもありました。それが神道の信仰から生まれた「誠」です。Freedomは誠と訳すべきだったのですが、自由という仏教用語を訳語に使うというミスをしたのです。