支那では一時的に仏教が栄えた
支那で仏教が流行り出したのは、後漢末の内乱時代(2世紀末)でした。大変な時代で、後漢の最盛期に5000万人以上あった人口が、七分の一以下の7...
支那で仏教が流行り出したのは、後漢末の内乱時代(2世紀末)でした。大変な時代で、後漢の最盛期に5000万人以上あった人口が、七分の一以下の7...
東京西郊にある深大寺に行ってきましたが、足を鍛えるつもりで6キロぐらいの道を歩いていきました。天台宗の別格本山ということでかなり寺格の高い寺...
多くの人は、インドではいまだに仏教が幅広く信じられていると考えているようですが、実は仏教は滅びてしまいました。20世紀になって仏教復興運動が...
前回までに、日本人は儒教のことなどほとんど考えていない、ということを説明しました。 神道は日本人の考え方に決定的な影響力を持っています...
イエス・キリストは、他のユダヤの預言者よりはるかに高いレベルの方ですが、本質的には預言者です。キリスト教の神の言葉を受け取り、それを人間に知...
光圀が彰考館の学者に『大日本史』編纂を命じたのは、「日本は昔から儒教の国だった」ということを証明するためでした。ところがまるで正反対の結論が...
アメリカ人の友人が東京に来たので、一緒に食事をしました。思い出話をしている最中に、「ところでフランスのお城を買わないか?」と彼が言い出しまし...
鎌倉幕府の成立によって天皇家は大打撃を受けましたが、まだ政治権力や土地の支配権を完全に失ったわけではありません。しかし鎌倉幕府が倒れて南北朝...
保元の乱が起きたときの天皇家は、道徳的にメチャクチャでした。 白河上皇は鳥羽天皇(自分の孫)の中宮(天皇陛下の正妻)だった藤原璋子と通...
光圀は、「彰考館」という歴史研究所を作り、儒教の学者を集めました。そして彼らに『大日本史』を書かせて、日本は昔から儒教の教えが普及している国...