神様を信じたほうが得か?

私は齢を重ねるにつれて、「神はほんとうに存在するかもしれない。人間の魂は死後も存続して輪廻転生を繰り返すのかもしれない」と考えるようになりました。

普通の宗教は、神と死後の魂の存続を前提として、「つらくてもこの世で神様の教えを守ったら、死んでから良いことがあるよ」と信仰を宣伝します。しかし神様などおらず死んだらおしまいだったとしたら、骨折り損になってしまいます。前提に確信が持てないのに、うかうかと宗教を信じるわけにもいきません。

しかし視点を変えて、「神を信じたら、この世で幸せな人生を送れるのか?神様を信じたほうが得か?」というように考えたらどうなるでしょう。結論から先に言うと、神様を信じたほうがこの世で富と成功を得る確率が増すと私は思います。事業で成功した富豪や大企業の社長、政治家には神道やキリスト教の信者が多いです。

例えば、麻生副総理はカトリックの信者です。遠くから見ている限りでは、麻生さんは政治的な天才のようには見えません。しかし笑顔が良くて、かわいげがあります。彼は維新の元勲たちを先祖に持ち非常に良い家柄に生まれていますが、それだけで政治の世界を生き抜くことは無理でしょう。

神道やキリスト教は、誠・隣人愛を強調し人を助けることを教えています。そしてこの世は「情けは人のためならず」という仕組みになっています。幸運や不幸の大部分は、人間関係を通じてもたらされます。神様の教えを守っていれば、幸運が人間の姿をして舞い込んでくるように感じます。

社会的な成功者の中には、「自分は仏教徒だ」とか「特定の宗教の信者ではなく、いろいろな教えの良いところを取り入れている」という人たちがいます。しかし彼らの話をよく聞いてみると、神道の教えを実践しているように見えます。

仏教は、出家して社会から離脱することを理想とする宗教です。ところが社会的な成功者は実社会の中で様々な人間関係を操って活動しています。だから仏教の教えで仕事がうまくいくはずがないのです。

功利的な動機で神様を信じる、というやり方もあると思うのですが、いかがでしょうか。

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コメント

  1. 日本太郎 より:

    私も、生活における基本的な価値観として「誠の心」を重要視しています。

    しかし同時に、仏教の考え方も重要だと思います。仏教哲学を西洋哲学の言葉で言い換えれば、一種の「超越論哲学」と言える側面があると思います。
    それは「成功や不成功」「生きるー死ぬ」と言うような、人間が作っている「意味の世界」を超えた地平に立つことが目的ともいえると思います。
    このような境地に置いて現れてくる実態を大乗仏教では「真如」と表現したのかも知れません。
    また「情けは人の為ならず」と言うのは、一般的には仏教思想、仏典に基づく言葉と考えられていると思います。因果応報。人に親切を施すなどの善因を作ればめぐりめぐって善果が自分に返ってくるというような考え方ですね。

    基本的に、仏教と言うのは「山に篭ることを目的とする」のではなくて、人間が作っている「意味世界」を超越して、真実の世界に没入することが目的だと思うのです。
    つまり「山に篭る」と言うのは手段であり、瞑想が出来るのであれば都会のビルの最上階でも良い。

    また、日本史でも伊達政宗や徳川家康、上杉謙信のような大きな業績を残した人の中には仏教にシンパシーを感じる人も多かったわけで、決して、仏教信者に社会的な「成功者」が居ないということは無いと思います。ただ、純粋な仏教としては「成功-不成功」と言う意味世界を超越した境地を知ることが、本当の意味での「成功」だと考えているとは思います。

  2. 日本太郎 より:

    輪廻転生に関しては、東邦大学名誉教授の渡邊恒夫さんが興味深い仮説を述べています。
    それは「偏在輪廻転生」と言うもので、人は常識的な時間性を超越して、現在過去未来に存在した(する)様々な人間に生まれ変わり、様々な人生を体験していると言うものです。渡邊さんの輪廻転生観については『輪廻転生を考える』(講談社現代新書)に詳しいです。

    • 市川隆久 より:

      日本の成功者は、仏教の教義に賛同しているというよりも「瞑想法」というテクニカルな面を活用しています。密教の「護摩」「加持祈祷」にもそういう要素があります。

      日本人の考える「輪廻」は、仏教の輪廻とは違います。仏教の輪廻は「六道輪廻」で、人間だけでなく天上界の住民や動物にも生まれ変わります。日本人の輪廻は、先祖が子孫にまれ変わるということで、人間にだけ生まれ変わります。しかもその範囲は一族の間が中心です。この考え方は、縄文時代からあったようです。