信じることが大切だ

神道は、神様や優れた人の魂を分けてもらい自分の魂に付着させて、元気になり精神的にも向上しようとする宗教です。そのためには、みそぎをして心と体を清め神様を信じて、神様を受け入れる準備をしなければなりません。ある程度の努力は必要です。

しかし準備をした後は、神様が魂を分けてくれるのを待っているわけで、神道は他力本願的な要素があります。実はこの点でキリスト教と同じ発想です。信者がイエス・キリストを信じさえすれば、イエス・キリストはその信者を「うい奴じゃ」と思って、神様にその人物を推薦します。

すると神様は、その信者に聖霊(神様の魂のこと)を送り、その魂を向上させ元気にします。キリスト教も他力本願的なのです。もともとキリスト教はこういう考え方だったのですが、カトリックは長い間にこの考え方から逸脱していきました。

そこにルターが現れて、「神様を信じれば良い。そうしたらあとは神様が信者をうまく導いてくれる」と主張しました。これがプロテスタントの教義の本質です。

神道の信者やキリスト教の信者は、神様からレベルの高い魂をいただくので、神様と同じようなことを考えるようになる、と考えます。神様は絶えず他人を助けようとしていますが、その神様の心の通りに実践することを神道では「誠」といい、キリスト教では「自由」といいます。

神道やキリスト教が普及している日本や欧米では、他人どうしが互いに助け合うようになり、その障害になる制度やルール・法律を打ち破っていきました。このようにして近代社会ができたのです。

仏教や儒教は、基本的に自力本願です。儒教は正典を学んで自ら心を正しくしなければなりません。仏教もおしゃか様の時代は、修行をして自分の心の中からものに対する執着を追い出さなければなりませんでした。

ところがこの修行があまりに難しいために、次第に阿弥陀仏などが助けてくれるというような他力本願の考えが入り込んできました。大乗仏教は、他力本願に大きく傾いた仏教です。

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