そもそも神様や霊魂はあるのか?

「神様は本当に存在するのか、死後も魂が存続するのか」というようなことを、聖職者や学者たちは数千年間にわたって探究し続けてきましたが、未だに確実な証拠が出ていません。

19世紀になると自然科学の発達によって、神様の存在を疑る人が増えてきました。その一方で神や霊魂の存在を科学的に調べようとして、特に上流階級の間で降霊術が非常に盛んになりました。霊媒を呼んでその周りに人が集まり、霊媒に降りてきた霊にあの世のことをいろいろと質問したのです。

20世紀に入ると、いやしくも知識人であれば神や霊魂の存在を否定するのが当たり前になりました。そういう時代の雰囲気の中で、東京帝大で催眠心理学を研究していた福来博士(助教授)がテレバシーを研究したために、東京帝大を追放されてしまいました。

ところが20世紀後半になると、理論物理学や心理学・医学などの発達によって、神の存在や霊魂の存続などということがあってもおかしくない、という研究結果が出てきました。

アメリカのワイスという精神科医は、患者のトラウマの原因を突き止めようとして催眠術をかけ、患者の幼児期の記憶をよみがえらせました。さらに胎児のときの記憶まで遡ろうとしたところ遡りすぎて、患者が前世の記憶を話し始めたのです。患者の前世の話の裏をとると、それが事実だったので大騒ぎになりました。キリスト教は輪廻転生を認めないのでアメリカ人のほとんどは転生を認めていませんでしたが、最近は自分の前世を考える人が増えているということです。

アインシュタインが相対性理論を生み出したのは100年以上前で、それから理論物理学は大発展を続けています。私たちは、世界は三次元空間であり、時間は過去から未来に一方方向に進んでいて過去には戻れない、と思っています。

ところが最先端の理論物理学では、世界は10次元空間で、時間を遡ることも可能かもしれない、というところまで来ています。4次元や5次元などの異次元空間が我々の世界と重なっているが、気がつかないだけなのです。

ニュートリノという素粒子も従来は重さの無い物質だと考えられていました。しかし重さがない物質を測定する実験機器など無いので、そういう物質の存在は確認できないだろう、と考えられていました。ところが梶田博士がニュートリノに重さがあるということを証明したので世界中が驚き、彼はノーベル賞を受賞しました。何が言いたいかというと、最先端を走っている科学者のあいだでは、重さがゼロかマイナスの物質が存在するということは、常識になっているということです。

私たちが目で見て手で触れることができる世界は本当に狭いもので、宇宙には私たちが感覚的に納得できないことがたくさんあるということが分かってきました。最先端を走っている科学者の中で、「神はいない。魂の死後存続などない」と自信をもって言える人はいないでしょう。

私たちは、この現実、すなわち「神や魂の死後の存続を否定する証拠はない。本当はあるかもしれない」ということを、受け入れなければならないようです。私自身についていえば、神は存在するように思います。また、死後も魂は存続し、輪廻転生をくりかえすのではないか、とも感じています。

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