陸軍の中堅幹部が、社会主義経済を確立しようとした

日本と帝政ロシアは日露戦争で戦いましたが、講和条約締結後に日露協約が締結されお互いに友好国になりました。従って、日本はロシアと再度戦うことを本気になって心配する必要はありませんでした。

ところが第一次世界大戦中にロシア革命が起きて、社会主義国家のソ連が誕生しました。ソ連は、資本主義国に革命を起こすことを目標にしていたので、大日本帝国とは相いれない敵になりました。

当時の日本はまだ、アメリカと戦争することを予想していなかったので、ソ連が日本の仮想敵国になりました。軍人たちは、ソ連と戦争をする時は、第一次世界大戦のような国家の資源を総動員した総力戦になるはずだ、と考えました。

軍人たちは、ソ連と戦争をする時には、戦争を遂行するために必要な物資の生産や使い方を国家が決め、国民の労働をも振り分けなければならない、と考えました。これは自由主義経済を否定し、「何が正しいかは国家が決める。国民はそれに従え」という社会主義の考え方そのものです。

第一次世界大戦が終わって3年後の1921年に、ドイツのバーデンバーデンという保養地に3人の軍人が集まって、総力戦に備えて国家総動員体制を確立しようと誓い合いました。3人とは欧州出張中の岡村寧次(後に陸軍大将)、スイス公使館付武官の永田鉄山(陸軍で最も優秀と言われ、少将の時に暗殺された)、ソ連大使館付武官の小畑敏四郎(後に陸軍中将)です。

この3人の周りに軍人が集まり、1929年(昭和4年)に「一夕会」という佐官クラスの陸軍のエリートクラブができましたが、その中には大東亜戦争当時の首相を務めた東条英機や満州事変を起こした石原莞爾が参加していました。1930年代に入ると、彼らが陸軍省や参謀本部など陸軍中枢の幹部になりました。

国家総動員体制の確立には、兵士をどのように徴兵しようかとか武器をどうしようという軍事面だけでなく、エネルギーや鉄などの資源をどのように確保し配分するかとか、国家予算をどのように使うか、というような経済問題も解決しなければなりません。彼らは国家が市場経済に介入する社会主義経済を確立しようとしたのです。

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