暗い夜道を歩いていた時に、月が明るく照らしてくれた、と明恵上人は歌に詠んでいます。月という自然物は人間と全く同じように優しい感情を持っている、と彼は考えていたのです。そして月と自分は友達だ、とも思ってました。
彼はおそろしく生真面目な人物であって、月を擬人化して楽しんでいるようなひょうきんな性格ではありません。本当に、月が優しい感情を持っていて、人間と同じだと信じていたのです。
彼は、平清盛の全盛期だった1173年に、平重国の息子に生まれました。平重国は平家の一族で、源頼朝が挙兵したときにその討伐軍に参加して討死し、同時期に母もなくなっています。彼は満7歳で孤児になり、翌年に奈良の東大寺で出家しました。
東大寺は、華厳宗の総本山です。華厳宗は、日本の大乗仏教の特徴をよく備えた大乗仏教の宗派です。日本の仏教はみな「人間は、本当は仏様なのだ」と主張しているのですが、華厳宗は特に強くそのことを主張しています。
13歳の時に、「肉体があるから煩悩が生じるのだ」と考え、自分の体を野良犬に食わせてしまおうと考えました。そこで墓地(今と違い、多くの死体は穴に埋められず、地上に放置されていた)で一夜を過ごしました。野良犬たちは、近くにあった死体は食い荒らしましたが、明恵上人には臭い息を吐きかけただけでした。
また明恵上人はインドに行っておしゃか様の跡をたどろうと、本気になってインド旅行を計画しました。それまで日本人でインドに行った人は誰もいませんでした。平安時代初期に高岳親王がインドに向かいましたが、シンガポール近くで亡くなられた、ということがあっただけです。
明恵上人のインド行を周囲の全ての人が止めました。後鳥羽上皇までが、止めたほどです。最後には神様までが明恵上人を病気にして行かせまいとしました。そこでとうとう彼はインド行を断念したのです。
このように明恵上人は、思い込んだら命がけの人で、とても冗談などを言う人ではありません。その彼が、月という自然物にも優しい感情があると思っていたのです。