非正規労働者

日本のサラリーマンには正社員と非正規雇用者の二種類がありますが、こんな区別は他の先進国にはありません。非正規労働者の賃金が低く抑えられているため、これにつられて日本の最低賃金は異常に安くなっています。これでは結婚もできないために、少子化の大きな原因になっています。

日本に正社員と非正規雇用者の区別ができた理由をたどると、日本独特の稲作のやり方に行きつきます。すこし説明が長くなりますが、我慢して読んでください。

稲はもともと熱帯の植物のため、温帯の日本で栽培するには特別な工夫が必要です。春に水の張ってない田を耕して養分を補給し、その後に水を張って田植えをします。実りの秋になったら田から水を抜いて乾かしてから、稲刈りをします。稲作をするには、川に堤防を築いたり用水路を作ったりして、水を入れたり出したりの管理が必要なのです。

大きな川の下流に堤防を作るだけの技術力と政治権力を持った大名が現れたのは15世紀の室町時代になってからで、それまでは川の上流でしか稲作ができませんでした。1300年前の飛鳥時代の日本の都は、奈良県の飛鳥村にありました。飛鳥川の上流の細い流れに沿った狭い山奥の土地で、初めて訪れたら「こんな山奥に都があったのか」と驚くと思います。当時はこんな山奥が農業の中心だったのです。

川の上流は流れが細くて急なので、大雨や台風によってたびたび洪水や土砂崩れが起き、水田が荒廃しました。そこで農民たちはその土地を捨て、新しい開墾地を求めて移動しました。新しい開墾地には、あちこちから移動した人たちが集まり、皆で共同して堤防を築いたりしました。そして一緒に作業をするうちに、「同じ釜の飯を食う仲間だ」という意識が芽生えてきました。

「古代の日本人は、山すそを土地を求めてひんぱんに移動していた」ということを説いたのは歴史学者の吉田孝先生です。彼が『律令国家と古代の社会』を書いてこのことを明らかにしたのは34年前で、それほど昔ではありません。

日本人の血族意識はあいまいで、もともと父方と母方をともに一族と考えていました。新婚夫婦が夫の実家で暮らしはじめたら夫婦は夫の一族になりますが、母方の家に住んだら妻の一族になったと考えます。新婚夫婦がどちらの実家でもなく新しい土地に住んだら、その土地の住民の一族になった、とも考えられていました。

新しい開墾地を求めて同じところに住み着いた人たちは、共に働くことによって仲間意識を持ち、同じところに住むことによって一族意識を持ちました。こういう集団が後に「家」になっていきました。

少し先走って言うと、今の企業は「家」であり、正社員は家の構成員で一族扱いを受けますが、非正規雇用者はよそものの扱いなのです。

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