古代の日本人は、同じところに住み一緒に農作業を行うことにより、お互いに仲間意識を持ち、一族だとも考えました。この発想が次第に「家」に発展していきました。「家」というのは単に祖父母から孫まで血縁者が一緒に住んでいるところ、というものではありません。血縁関係にある者とない者が一緒になって事業を行う組織が、「家」です。
江戸時代の大名は、家来と一緒になって領地を管理し、参勤交代や軍役などの将軍に対する義務を果たすことによって家が取り潰されないように努めていました。年貢はこれらの事業活動を行った結果の収益で、大名と家来がこれを分け合って生活していました。今では「長州藩」「薩摩藩」などと大名の事業体を「藩」と言っていますが、江戸時代は「毛利家」「島津家」と呼び、家だと認識していました。
大名に跡継ぎの男子がいない場合は、血縁関係にないよその大名の息子を養子にして跡を継がせました。血縁関係にこだわらず、家をつぶさないようにすることを優先したのです。大名の家は、まさに事業体だったのです。
商人の家はもっとはっきりしています。家族と血縁関係にない番頭や丁稚などの使用人が一緒になってビジネスを行い、収益を挙げてみんなで食っていました。当主の息子の出来が悪い時は、出来の良い番頭を娘と結婚させて跡を継がせました。家は法人であり、その存続発展がなによりも優先されます。
今の日本の企業も家です。互いに血の繋がっていない者たちが集まって組織を作り、事業を行って収益を挙げ、その一部を分け合ってみんなが生活しているからです。従って日本人は、企業をそこで働いている正社員みんなのものだと心の中では考えています。それに対して非正規雇用者は臨時の間に合わせであり、家のメンバーではないと考えられています。
人手が慢性的に不足していた高度成長期の非正規雇用者は、何らかの理由で年中フルタイムで働けない事情があり、自分から望んで非正規労働者になった人が大部分でした。ところが不況が長引くにつれて企業が人件費を節約するために、進んで非正規雇用者を採用するようになりました。このように時代によって非正規雇用者をとりまく環境が変わっていますが、正社員が家の正式の構成員であり非正規雇用者はよそ者だという構造は変わっていません。