「一つの中国」はウソ
台湾が歴史的に支那の一部であったことはありません。その実態を無視して中共も中華民国も「一つの中国」を主張したので、日本人は実態が分からなくなっただけなのです。
台湾が歴史的に支那の一部であったことはありません。その実態を無視して中共も中華民国も「一つの中国」を主張したので、日本人は実態が分からなくなっただけなのです。
石垣島の島民が台湾の原住民に殺されるという事件が起こりました。日本政府が清に抗議したところ、清政府は、「原住民は国家統治の及ばない者であるから、日本が殺人を犯した原住民を討伐することに異議を唱えない」という返事をしました。台湾が清の領土か否か、非常にあいまいな態度をとったのです。
天安門事件を起こした支那を世界中が制裁しました。ところが日本がまっさきに制裁破りをしたために、欧米の制裁もうやむやになってしまいました。支那をここまで増長させた元凶は日本なのです。天安門事件30周年の今年、「この時、日本は判断ミスをした」という反省の意見が多く出ています。
ソ連のゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」を始めて、政治の自由化・民主化を推進しました。この波が支那にも押し寄せて、支那共産党のトップである胡耀邦が、言論の自由化政策を推進しました。これに反対したのが、鄧小平でした。鄧小平は、経済的には自由主義・市場解放を支持しましたが、政治的には共産党の独裁を堅持しようとしていたのです。
もしも支那が一国二制度を崩し香港を本土並みにするならば、トランプ政権は「香港政策法」を廃止して、香港を本土並みの扱いにする恐れがあります。そうなれば香港の存在価値がなくなり、ますます寂れます。
支那とイギリスは、1997年7月1日に香港を支那に返した時から50年間は、香港の体制を民主主義のまま変えないということに合意しました(一国二制度)。ところがそれから17年後の2014年に支那の中央政府は、香港の行政長官の選挙を共産党に有利なように変更しました。
九龍半島北部の返還期限である1997年6月30日に、永久にイギリスの領土のはずの香港島と九龍半島南部もまとめて、支那に返すことになりました(中英共同声明1984年)。つまり香港全土が支那の領土に戻ったわけです。
最近、支那やその周辺諸国(ウイグル、チベット、台湾)で人権侵害が起きていることが盛んにニュースなどで取り上げられています。 一般的には...
アメリカのグローバル主義者が男女平等条項をアメリカの憲法に追加しようとして失敗しました。その残党が「あらゆる種類の性差別の撤廃」を主張し、そのとばっちりが日本に飛んできて「女系天皇」容認論になったわけです。日本人はこのような議論に惑わされてはなりません。
日本に対して「女系天皇を認めよ」と勧告をしようとした国連女子差別撤廃委員会は、国連人権理事会の下部組織なのです。従ってこの勧告は、彼らが日本の伝統に無知だったからという単純な動機ではなく、明らかに支那の工作の結果です。