宣教師は、神が試練を与えた、と思って耐えた

支那でキリスト教を布教していたアメリカ人の宣教師は、支那人から「恩を仇で返す」扱いを受けました。普通ならこの段階で支那を嫌いになるはずです。

ところが8000人の宣教師のほとんどは、その反対に「可哀想な支那人」を好きになってしまったのです。著者のタウンゼントによると、「アメリカ人は可哀想な人間を好きになる傾向がある」そうです。80年以上前の支那は不幸なことだらけで(今でもそうですが)、飢餓・盗賊・官吏の不正・暴力・軍閥同士の内乱・アヘン・病気などが盛りだくさんでした。

そういう中で宣教師たちは、「支那人に教育や医療を無料で与え、衣食を恵んでやれば、キリスト教の信者になるだろう」という戦略で臨みました。ところが支那人には「感謝をする」という発想がなく、「カモが来た」と思ったわけです。

宣教師たちはひどい目にあったのですが、それを「神が我々に試練を与えた」と考え、「やがて彼らも神の子になる」と甘く考えて、支那にのめりこんでいきました。資金を送ってくる本部に対しては甘い見通しばかり報告し、支那人のデタラメな行動は報告しませんでした。

その一方で宣教師は日本人を好きになりませんでした。それは、日本が近代国家で、日本人はみな清潔で勤勉でウソをつかず、教育を受けていたために、「可哀想な」日本人がいなかったためです。

こういうわけで、満州事変や上海事変では、宣教師は支那の肩を持ち日本を悪魔のように言いました。そしてアメリカのマスコミに自分たちの活躍を宣伝し、「もうじき神の子になる支那人」と「悪魔のような日本人」というイメージをアメリカ人に植え付けました。

これが大東亜戦争につながっていったのです。

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