本当の支那人

『暗黒大陸 中国の真実』に書かれている内容は、著者あるいはその知人が経験したり見たりしたことばかりで、非常に具体的です。その一部を下記に略述します。

1、 散歩の途中に葬列が休憩しているのに出くわした。著者が小銭を楽隊の隊長に渡すと、楽隊は軽快な曲を演奏し、参列者も大声で楽しんでいた。休憩が終わると、楽隊は悲しげな曲を演奏し、参列者も列に戻り、胸を引き裂くような嘆き声をあげて去って行った。支那人は偽善者だ。

2、支那に長くいる英米人に、「支那人の性格で我々と最も違う点は?」と聞くと、全員が躊躇なく「ウソつきです」と答えた。

3、無料の教育目当てに入信するなどして甘い汁を吸った後、キリスト教に見向きもしなくなりかえって反キリスト教になる支那人が多い。それでも宣教師は、「我々に与えられた試練である。失望せず新たなスタートと考えよう」などと考えた。

4、1927年から宣教師は国民党政府の監視下に置かれ、ミッションスクールの小学校ではキリスト教を教えることはできなくなった。校長も支那人に限定され、国民党が作った教科書が使われるようになった。それが排外主義に満ち、アメリカ人教師を罵倒する内容であった。これらの資金は元をたどればすべてアメリカの信者の寄付である。宣教師は、これらの事実がアメリカに伝わることを恐れ、隠そうとした。

5、子供のいない女宣教師が、奴隷扱いを受けていた支那人の男の子を引き取って可愛がり、学校に入れて将来は宣教師にしようとした。ところがその子がどこかへ消えてしまった。しばらくしてその男の子が暴漢たちを連れて彼女の家に押し入り、散々に略奪した。

また、別の宣教師が、使っていない庭を1シーズン無料で隣家に貸したところ、隣家は借りている部分に塀をめぐらし所有権を主張した。警察は何もしないので、宣教師は自分で庭に囲いをし、著者のタウンゼントが助太刀をして、棒を振り回して護衛に就いた。支那人はこちらがちょっとでも強硬な態度を示すと、怖気づく。
この話など、尖閣の事例と同じですね。

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