犯罪者を讃える教育を許すのか

北朝鮮は日本人を拉致をしたり、アメリカ人留学生をなぐり殺したりしています。覚せい剤や偽札を日本に持ち込んだり、ハッキング行為をして銀行からお金を盗み出したりと、あらゆる刑事犯罪を行っています。さらには核ミサイルを打ち込むなどと言って、日本を脅かしています。

核開発をしているとか、側近や兄貴を粛清したとか、イランなどに核兵器技術を輸出しているなどという政治的な行為を勘定に入れなくても、普通のやくざがやりそうな刑事犯罪を盛大にやっており、北朝鮮はまさにならず者国家です。

このようなやくざの親分である金一族の首領を、朝鮮高校は立派な指導者だとして礼賛し生徒にもそのように教えています。犯罪者を礼賛する教育がまともな教育でしょうか?就学支援金の支給云々の前に、まずはこのような議論をしなければならないはずです。

ところが驚くべきことに、日本の地方裁判所は、「犯罪者を礼賛するのが教育なのか」という問題に対して判断を下していません。国側は裁判所に対して、「就学支援金が授業料に充てられず北朝鮮に流れる恐れがあるから、支給しない」という説明をしました。広島地方裁判所はこの説明を認めたのに対し、大阪地方裁判所は反対の判断をした、というだけでした。

国側も地方裁判所も細かいことばかり言い、「このような変な教育がそもそも許されるのか」という本質的な議論をしないのは、日本人が「自由」という考え方を真剣に考えてこなかったからです。朝鮮高校授業料無償化事件の本質は、「朝鮮高校にはこのような変な教育をする自由はあるのか」ということなのです。

自由(Freedom, Liberty)はキリスト教の信仰から生まれたもので、「イエス・キリストと同じ正しい心で判断し、人を助けるためにしたことであれば、法律や社会の常識などに反することであっても、行って良い」という考え方です。

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