自由の意味を誤解して、日本は自由主義を捨てて社会主義になった

日本は、明治初期に自由主義の原則を採用したのですが、第一次世界大戦後に徐々に社会主義化しました。この動きは、自由主義から次第に社会主義化していった西欧と一見したところ同じです。

しかし、西欧はキリスト教の長い伝統があり、Freedom(自由)も社会主義もキリスト教の信仰から生まれたのに対して、日本にはキリスト教の伝統がなく、Freedomの意味もほとんどの日本人が誤解しています。だから自由主義から社会主義への変化も日本独特の文化的背景があるのです。

Freedomは、正しい社会生活の送り方を説いています。人間は社会のルールに従わなければならないのは当然なのですが、人を助けるにはどうしても社会のルールを破らなければならないことがあります。「キリスト教徒は社会のルールに従わなければならない。ただし人助けのために必要なら、社会のルールを破っても構わない」と考えるのがFreedomの考え方です。この考え方から、自由主義と社会主義の両方が生まれました。

明治になって日本人は、Freedomという言葉を、「自由」と訳しました。仏教の出家者は社会から離脱して山の中で暮らすのが原則です。彼は、周囲には人がいないので、他人に配慮することなく勝手気ままに振る舞うことができます。この伸び伸びした気持ちを、仏教は「自由」と表現しました。

明治初期の日本人は、西欧の書物を読んでFreedomの意味を正確に理解していたのですが、時代が下るにつれて、「自由」という言葉の意味を「勝手気ままに振る舞う」ことだと誤解するようになりました。

軍隊は、規律を重視し勝手なことを許しません。従って自由の意味を誤解した軍人は、「自由」という言葉を非常に嫌いました。一方の社会主義というのは、「何が正しいかは、国家など上が決めるから、国民はそれに従え」という考え方です。上からの命令には絶対に服従することを美徳とする軍人は、社会主義的な発想に違和感を覚えませんでした。

このように少し変わった経緯で、軍人の考え方が自由主義から社会主義に変わっていき、二・二六事件以降軍人が日本の政治を主導するにつれて、日本の社会は社会主義に舵を切っていきました。

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コメント

  1. ソフィア より:

    ヘーゲルを国家主義者と解釈するのは、かなり古いヘーゲル解釈だと思いますが、その「古いヘーゲル解釈」こそが19世紀や20世紀初頭には「最新の解釈」であり、権威をもって社会や人々を動かしていたのも事実なのでしょう。
    そして、現在の日本では「総力戦体制の亡霊」がいまだに跳梁跋扈しており、人々の意識は戦略(政治)的なことは「お上盲従」で、目先の事しか考えないようになっています。
    ブラック企業で働いていても、国家が衰退していっても「この現実をどうするべきか」という発想には全くならない。
    このような事の始まりが、バーデンバーデンの密約にあることをはっきり意識することは大事だと思います。
    ありがとうございました。