西欧の場合、アメリカのような白人対黒人の対立ということではなく、元々の西欧人と移民の対立という図式になっています。イギリス・ドイツ・フランスなど主要国で、移民の総人口に占める割合はおよそ12~13%で、相当に高率です。
これらの移民は奴隷として無理やりに西欧に連れてこられたわけではなく、第二次世界大戦後に自発的に移住してきた者たちです。第二次世界大戦で多くの男性が亡くなったので、西欧政府が労働力不足を補うために、移民を歓迎していました。
アメリカと同様に西欧の大企業も、世界のグローバル化することによってビジネスの拡大を図るようになりました。そこで政府やマスコミを利用して、人種・宗教・民族文化の違いによる差別をなくし、世界をノッペラボーにしようとしたわけです。
グローバル化とは異文化を差別しないということですから、西欧諸国は移民を受け入れる際に、もともとの言語や宗教や文化を捨てなくても良い、としました。例えば、アフリカに住んでいたイスラム教徒がフランスに移住する際に、フランス語をマスターしキリスト教を土台にしたフランス文化を尊重しなくても良いのです。
フランスの伝統を尊重する必要もなかったので、移民たちは自分たちの宗教の習慣に堂々と従いました。イスラム教徒の女性は外出するときにスカーフで顔を隠さなければならず、イスラム教徒の女子高校生が公立高校に通学するときにも、スカーフを着ていました。
ところがフランス憲法は、「国家は宗教的に中立でなければならない」と規定していて、公共の場所で宗教的な行為を禁止しています。ブルボン王朝時代に国家がカトリックの信仰を強制したために、革命後にこのような特定の宗教に加担してはならない、というルールが出来たのです。
イスラムの女子高生がスカーフを着けて公立高校に登校することは憲法違反なので、彼女たちは退学処分になりました。そこで裁判や大規模なデモが起きるという騒ぎになりました。このような文化摩擦の他に、移民がスラム街を作り周辺の治安が悪くなるというような別の要因が重なり、西欧諸国で移民に対する不満が増大していきました。