プロテスタントでは、予定説が主流

アメリカのキリスト教は、プロテスタントが主流です。プロテスタントの主張を簡単に言えば、「イエス・キリストの頃の信仰に戻れ」ということで、聖書に書かれた内容を重視します。聖書の冒頭の「創世記」には、神が光・地球・天体・動植物・人間など全てを作った、と書かれています。神は、何でも思い通りの物を作ることができ、全能なのです。

全能で思い通りのことができるということは、何事にも制限されない、ということです。例えば人間が神に、「病気を治してください」とお願いしたとします。もしも神がその人間をかわいそうに思って病気を治してやったとしたら、神はその人間の願いによって行動を制限されたことになり、全能ではなくなります。全能の神は、人間の願いには影響されません。

全能の神は、ひとりひとりの人間を思うように作ります。性別を決め、人種や性格・能力、さらにはどのような両親の下に生まれ、どういう人生を歩み、どのように死ぬかなどの、運命全体を決めてからその人物をこの世に誕生させます。

キリスト教徒になるか否か、イエス・キリストと同じ正しい心を持てるか否か、ということまであらかじめ神は決めておきます。このように、その人間の運命をすべて神が生まれる前に決めておく、という考え方を「予定説」と言います。予定説では、人間が自分の意思で運命を変えることなどありえません。

「神がそこまで非情だとは思えない」として、予定説を否定し、人間の自由意思を認めるキリスト教徒もいます。「予定説」と「自由意思説」は昔から対立していて、未だに決着がついていません。

しかし、「神は全能で人間の願いなど考慮しない」という前提から論理的に考えると、予定説が自然に出てきます。ルターやカルヴァンなどのプロテスタントの指導者たちも予定説を唱えていました。予定説は、キリスト教の中では決して奇を衒った少数説ではありません。

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