国家が現実的になってはならない

安部晋三氏が総理大臣をするようになってから、マスコミが急に日本の総理大臣に対してヒステリックに非難を浴びせるようになりました。安部総理に対する世論を少しでも悪くする材料があるなら、彼の奥さんだろうが閣僚だろうが友人(森友、加計)だろうがお構いなしで、安部総理が悪いことをしている、というように話を持っていこうとしています。

「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる」などと、首相を呼び捨てにし大勢の前で罵声を浴びせる大学教授まで出てきました(山口二郎 法政大学教授)。どういうつもりでこのような品の無い発言をしたのかは分かりませんが、安部首相を非難するためなら何をしてもいい、という一部の雰囲気に乗じた軽率な行為です。

日本の政府は敗戦以来、国内外で非常に気を使い、波風を立てないようにおとなしく部屋の隅で縮こまるような態度をとってきました。「日本が悪いことをした」とやってもいない悪事を非難された時も、黙って反論しようとしませんでした。子供たちに対する歴史教育にしても、偏向した教育を正すこともできませんでした。

それは外国からの圧力もあったでしょうが、主として国内の要因です。大東亜戦争が起きた原因をすべて日本のせいにし、「国家が強くなると、悪いことを始める」という考え方が国内でも常識のようになってしまい、それに抵抗することができなかったからです。

このようなことになった原因を、アメリカ占領軍の洗脳教育に求める人が多いです。しかし日本が占領されていたのは7年間だけで、その後の65年間は日本の政府なりマスコミなりが、このような態度を自主的に継続していたのです。ということは、「国家は悪いことをする」という発想がもともと日本にあった、ということです。

仏教は、妻子を捨て社会から離脱して出家し、山の中で一人修行することを理想とします。現実の社会や国家は、出家しようとしない低レベルの人間で満ちており、国家はすぐに争いを起こす悪い存在なのだ、というのが仏教の国家観です。このように国家や社会を上から目線で見る仏教の発想では、国家の運営はできません。だから、日本では伝統的に仏教の視点で国家を考えることはしませんでした。日本に危機が迫った幕末に日本をなんとかしようと立ち上がったのも、神道の信者(尊王思想家)です。彼らは、神道を基にして天皇陛下を国家の中心に据えた明治国家を作りました。

ところが敗戦により、「日本が戦争をして負けてしまったのは、神道のせいだ」ということになってしまい、神道の権威が衰えて、代わりにもう一つの日本の伝統である仏教の力が増えてきました。そして仏教の発想で国家や社会を考えるようになってしまったのです。自由や平等という言葉は、もともと仏教用語でした。それを西欧から来た法的権利の訳語に使ったことも、仏教で国家を考えるようになってしまった原因の一つです。

安部総理は、このような「浮世離れ」した国家の運営を止めて、もっと現実的な国家運営をしようとしました。これに対して、「国家は悪いことをする」という考えに固執しているマスコミや野党がヒステリックを起こしたのです。

安部総理をヒステリックに非難し憲法9条を断固守り抜こうとしている人たちを、「反日」と呼ぶことがあります。しかし彼らは、自分が正しいと思っていることを主張しているだけで、日本を悪くしようとは考えていないようです。

彼らは、自分たちの考え方が仏教の考え方から来ていることを気づいていない「無意識の仏教徒」です。そして「仏教の発想で国家や社会を考えたらおかしなことになる」という伝統的な知恵を、持ち合わせていません。彼らの考え方の一番の問題点は、「浮世離れしている」ことです。

日本の伝統的な考え方を良く理解することが、今こそ本当に必要なのです。

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